パリが泣いている


 パリは、私が海外旅行で初めて降り立った地で、一番多く行った都市だ。といっても、たった4回で随分と昔のことだけれど…。


 初めてのパリはなんとも差別的で私は一気に嫌いになった。そのあとドイツに行った時、田舎の観光地だったというのもあったかもしれないが、人々のなんと暖かかったことか。


 次に行ったのは4年後で、海外旅行が初めてという友人のリクエストでだった。やはり差別的なところはあったけれど幾分和らいだという感じで、いや、パリの洗礼を受けて少し免疫ができていたせいかもしれないが、ベンチに座って道行く人々を眺めていると、季節や天候など全く意に介さずにサンドレスを着ている人がいればすっかり秋の装いの人もいて、その誰もが人の目など気にすることなく闊歩しており、「大人の国だな」と、ふと思ったのだった。個人主義は大人でないと成り立たない、利己主義になってしまうから。そんな考えが湧き起って、パリに対する見方が少し変わっていったのだった。


 3回目はその翌年。上司に「星の王子様」がプリントされた50フランをお土産と一緒に頂いて、私はそれを額に入れて部屋に飾り「よし、来年はモン・サン・ミッシェルに行くぞ」と。もう行き当たりばったりの初の一人旅。なんとなくパリなら一人でも大丈夫だな、と。現地でバスツアーに参加できなかったら電車で行でいけばいいや!と、ものすごくアバウトな旅。幸運にもバスツアーに参加でき、モン・サン・ミッシェルの名物のオムレツもしっかり食べることができた。


 4回目はそれから5年後だったか。仕事を辞めたのを機に2週間、格安の往復航空券だけを握りしめてイギリスとフランスへ。ロンドンのビクトリア・コーチ・ステーションから夜行バスでパリへ。ライトアップされたドーバーの白い岸壁。早朝パリに放り出されて、カフェが開く時間になるまで「白鳥の遊歩道」を散歩し、自由の女神にご挨拶。翌日は電車でルーアンへ行って、念願の大聖堂とジャンヌ・ダルクが幽閉された塔に登った。その次はガイドブックと睨めっこしてオーベル・シュル・オワーズへ。ゴッホのお墓参りだ。そしてやっとパリ観光に入ってから気付いた、独立記念日の2日前だったということ。あちこちがバリケードで封鎖されて、凱旋門からこの道を通れたらシャイヨー宮まで歩いて行けるんだけどな、と思って、ガードしていた軍人サンに聞いてみたら「Impossible」とか言われたんだ。

 あれ、ユシェット座で『授業』を観たのはこの時だっけ?受付のオジサンに「上演はフランス語だよ」と英語で言われ、ストーリーを知ってるから大丈夫、とか言ったんだ。ホントはその芝居の生徒役をやったことがあるんだけどね。

 陽も傾き出した頃だったか、向こうから軍人たちを載せた軍用車両が3台ほどやってきて、その先頭の車がすれ違う時、乗っていた若い軍人の一人が私に向かって「ボン・ジュール」と言ってきたので、つられて思わず「ボン・ジュール」と言ってしまったら、その車の中が「オオー!」と大騒ぎになって、その後に続いた2台目、3台目の車両に乗っていた軍人たちまでなんだなんだと座席から立ち上がって窓側に張り付いてくるのでそれが可笑しくって…。


 あんなに平和だったのに。あの時の陽気なパリのままでいてほしかった。


 私はパリが大好きです。また海外旅行する機会があったら、その時は真っ先に「パリ」と決めています。今回犠牲になってしまった多くの方に、心よりお悔み申し上げます。