『風の痛み』(2001) 

監督:シルヴィオソルティーニ


男は夢に出てくる運命の女、リーヌとの出会いをひたすら待ち望んでいた。男につきまとう死相にも似た女への激しい執着。リーヌは男の暗い過去に明るい陽光を射した一瞬であり、それが彼の全てだった。

15才の時、トビアシュは過去を捨て異国の地にやってきた。娼婦であった母の常連客であり自分の父親でもあった担任の教師を刺し殺してしまったのだ。以来彼は名前を変え、たった一人で異国の地で言葉を学び、小説家を志しながら時計の部品工場で働いてきた。

ある日彼は裁判所から召喚される。同郷の、罪を犯した者の通訳として。そこで出会った女性弁護士との気ままな情事。料理上手で気立てのよい恋人がいたが、トビアシュにとって彼女はリーヌと出会うまでの関係と割り切ったものだった。同時に裁判を通して知り合った同郷の者たちとの小さなコミュニティの中にも入っていく。が、そこで知り合った友人の義理の妹の自殺。

「お前に何がわかる。お前は何も見ていない。」

友人の言葉が突き刺さる。そして彼の生活にやがて決定的な変化が訪れる。いつものように工場に向かうバスの中、乗り込んできた赤ん坊を抱いた一人の女性に彼は目を奪われた。遠い日の面影がよぎる。隣の席に座った利発そうな小さな女の子。殺してしまった教師の娘。腹違いの妹、リーヌ。

トビアシュは執拗にリーヌを追い求める。自転車と双眼鏡を買い、連日リーヌの家の前の林の中に身を隠し、寒さに凍えながら窓に佇むリーヌの姿を欲する。意を決し、工場の食堂で読書していたリーヌに話し掛けるトビアシュ。初めは彼を警戒していたリーヌだが、次第に心を許していく。物理学者の夫の留学生活を支えるため、工場で働きはじめたリーヌはその生活に耐え兼ねていた。彼女が帰国を口にした時、トビアシュは悲鳴をあげる。そしてついにその思いのたけをぶつけるトビアシュにリーヌは答えた。

「トビアシュ、怖いわ。」

「僕も、キミが怖い。」

「何をするかわからないアナタが怖い。アナタを愛してしまいそうで怖い。」という感情と、「僕も、僕を支配しているキミが怖い。キミが全てなのだ。」という狂おしいほどの愛情がこの簡潔な言葉から伝わってくる。愛する者から否定されることはこの上ない恐怖だ。

そして自分との関係を疑った嫉妬深い夫にリーヌが中絶させられたことを知ったトビアシュは逆上し彼女の夫を刺してしまう。一命はとりとめたものの、リーヌもまた夫を恐れるあまり刺してしまい、子どもを抱いてトビアシュの元に逃げてくる。リーヌは再び言う。

「トビアシュ、怖いわ。」

2人は列車に飛び乗り逃亡する。車中、トビアシュは彼女が自分の腹違いの妹であることを、古代エジプトの王家では「きょうだい」での結婚が理想とされたことをそえて告白する。それを聞いて微笑むリーヌ。彼を、自分に起こったこと全てを運命と受け入れてしまった今、彼女にとってそれは些細なことであったのだろう。少年だったトビアシュがそうしたように、彼女もまた以前の生活を捨て国境を越えたのだ。

場面は一転し、それまでの陰鬱な雪景色から、温かい光の射す海辺へと。スクリーンには一人でおすわりができるようになったリーヌの幼い娘と、語学学習用のテープから流れる異国の言葉をなぞる穏やかな声だけが。運命という名の海を漂い、今やっと漂着したかのように。

「お前は何も見ていない。」

否、彼にとってリーヌだけが「真実」であり、また彼が欲した「現実」なのだ。