エロい人の本を読んで


 読書が嫌いなので、上京する際の約2時間の移動中はなるべく本を読むようにしている。面白ければ遅読の私でも文庫本が一冊読み終わる。小難しい評論などは途中で飽きて眠くなってしまうので間違っても決して読まない。つか、手にしたことない。
 が、この間書店で目に止まったのは小林秀雄の『作家の顔』だった。目次が作家ごとになっていて読み易そうだし、中原中也の項目も二つあったから。白洲次郎にちょっと似ててハンサムだし、こりゃイロイロあるわなあ、と冷やかし半分で。
 なのに、冒頭部分でヤラレた。癩病を患っている作家の作品についての箇所を引用する。「作者は入院当時の自殺未遂や驚愕や絶望を叙し、悪臭を発して腐敗している幾多の肉塊に、いのちそのものの形を感得するという、異様に単純な物語を語っている。こういう単純さを前にして、僕は言うところを知らない。」と、率直に述べている。
 さらに驚いたのは、その文章の明解さ、まるで砂地に水が吸い込まれるように、頭に、いや体に心地よく染み込んでくるのだ。もっと頭でっかちな文章を書く人なんだろうと勝手に思い込んでいた。そりゃ正子サンだって、なんとしても仲間に入りたいと思うでしょうよ。
 よかった、よかった。食わず嫌いだったのが一つなくなった。年をとると味覚が変わるというか、好みが変わるというのときっと一緒なのだろう。つくづく、ホントに頭のいい人はわかりやすい文章を書くことがちゃんと出来るんだなあ、と。
 ウン年前に勤めていた所の大ボスは、イミダスに名前が載ってしまうようなヒトで、必読しなくてはいけない著書があったりしたのだけど、リズムがあってわかりやすく一気読みしてしまったことを思い出した。それでも同僚の困ったチャンは「なんだか難しくって読み終えられなかったわ」と言ったりするので、「コレ以上どう簡単に書けと?」と、思ったり。感性の問題なんですかねえ。
 まあ、自分で自分のことをエリートとか言っちゃうようなニューアカに被れた人ほどヒトリヨガリで悲惨な文章書いちゃう傾向にあるような気も。モチロン、全部が全部とは言いません。バカだから、と前置きすれば何書いても許されると思って書くのも見苦しく卑しいもんですし。
 教養云々よりも、「育ちの良さ」が文章には出るような気がします。私の場合は既におわかりかと思いますが、ハナクソほじりながら書いてます。合掌。な〜む〜。