海水浴の思い出

fleurette2011-05-22



 先日ウォーキングに出たせいか、たった一日で日に焼けてしまったみたい。


 子供の頃から日焼けすると、赤くならずに全部吸収して真っ黒になるタイプ。父親でさえ、「どこのド○ンの子供が歩いてくるのかと思ったら、フルだったから、いやびっくりした。しかしよく焼けたなあ〜」と。

 あなたのせいでしょ、と思う。海水浴が大好きだった父は、夏になるとよく近くの海に連れていってくれたのだが、必ず沖に浮かぶボールにタッチさせるのだった。父曰、「風邪を引かなくなる」だそうだ。小学生でもスイスイ泳げる姉は、浮輪にしがみついて父に沖に引かれていく私を尻目にサッサとノルマをこなすのだった。

 が、こんな所まで泳いできてる子供なんてそうそういやしない。大人だってまばらだ。そして、沖の海水は波打際と違って非常に冷たい。ガリガリだった私の体を芯まで冷やし、唇はたちまち紫色に変色、寒さで歯はガチガチ鳴り出す。そして恐怖のクライマックスは、タッチして海岸に戻る時にやって来る。

 沖に波は立たない。子供たちが遊んでいる所は足が立ち、既に砕けた後の白波が平らにやって来る所だ。それよりもちょっと沖の、波が一番高くなるポイント、ココが最大の山場、ではなく波場なのだ。ジャンプして上手く波に乗り、波よりも体が高い位置に浮き上がって大波を回避する者と、タイミングを外して波が一番高い位置で憐れにも沈んでいく者やジャンプするポイントに向かったが間に合わす大波に掻き回されもみくちゃになる者、なんとかにげきって小さくなった白波に腰を激しくぶつける者とに別れる。

 私はこの情景を見ては、間に合わずに大きく弧を描いて崩れる大波に掻き回されることが恐ろしくてしかたがなかった。

 そして浮輪にしがみついて海上を父に引かれてる間、私が神経を尖らせ監視していたのは専ら沖からやってくる波だ。


「お父さん、波がくるよ!」

「ああ、あれは大丈夫、消えちゃうから」

 ほんとだ…。

「お父さん、また波がこっちくるよ!」

「ああ、まだ小さいから大丈夫だよ」

「お父さん、大きく、なってるよ…」

「ん?……。ダメだ、フル!間に合わない!潜るぞ!」


 私の小さな体は浮輪の下から、いとも簡単に海中に引きずりこまれた。父に抱かれて海中から顔を出した時、わけがわからなかった。ただ海水が目と鼻に入って痛かったことだけは覚えている。潜ると聞いた瞬間に口だけは反射的に閉じたので海水はあまり飲まなかったと思う。激しく咳込む私に「大丈夫か、フル!」と半分笑いながら大きな声で言う父に、むせて喋れない私は心の中で「だいじょうぶじゃねえよ、おやじ!波くるっつったろーよ!」と、叫んだのは言うまでもない。

 近くを漂っていた浮輪を捕まえた時に「どうして浮輪ごと引っ張ってくれなかったの?」と聞いた。浮輪があれば浮くだろうと思ったからだ。が、父が言うにはもう波が崩れ始まっていたので、浮輪をしてるとその抵抗をもろに喰らって掻き回されてしまう、波の壁に飛び込んでやり過ごすのが一番簡単だが私には無理だ、したがって衝撃を受けずに回避するにはその波の根元の下に潜り込んで波の向こう側に逃げるのが一番だった、とかをもっとかみ砕いてわかりやすく。


「でも、波くるよっていったもん!」


 足の立つ所までくると、浮輪を両手でしっかり掴み、プリプリしながら砂浜に向かった。その後はたっぷりと太陽の陽射しを受けて暖まり、帰るまでずっと一人砂の造形展をして遊んだ。

 真っ黒になったのはそのせい。

 その後も、中学生になって夏休みの部活動が忙しくなるまで、「ボールタッチ」は続いた。私の恐怖は大波に掻き回されることと、突然の潜水になっていた。



今日の花 : 夾竹桃(昔、庭にあった白い夾竹桃が大好きでした。爽やかな夏のイメージです)



※上の画像は、その後何度も私に海水を飲ませた人(父)の若い頃の写真をケータイで撮ったものです。