『ソラリス』(2003)

監督:スティーヴン・ソダーバーグ


殺風景なキッチンで、ひとり調理をはじめる男。ナイフはその対象をかすめて男の指を切り裂く。スクリーンには、パックリ開いたその傷口が映し出される。それは男にとって決して癒えることのない心の傷を暗示しているかのようだ。


友人から助けを求められ惑星ソラリスに単身乗り込むことになった心理学者のクリス(ジョージ・クルーニー)。辿り着いた宇宙ステーションで彼を出迎えたものは、助けを求めてきた友人の遺体と、ともにソラリスを調査していた二人の科学者、そして彼らが「客」と呼ぶ、ソコに存在するはずのない死んだ友人の子どもだった。事態を容易に理解できずに戸惑うクリス。だが、やがて彼は全てを理解する。彼もまた彼の「客」をソラリスの力によって創造したのだ。自ら命を絶ってしまった最愛の妻、レイヤ(ナターシャ・マケルホーン)を。


動転したクリスはその事実を否定し、目の前に突然現れた妻をカプセルに入れ宇宙へ放り出してしまう。しかし、彼女はまた彼のもとへ現れる。夢を見ることによって、生きた人間の思念をのみ込み、実在したヒト(=コピー人間)を創造する。それがソラリスなのだ。


全篇に漂う喪失感。それは愛する妻、レイヤと出会った最も幸福であったろう時期にも執拗にまとわりつく。なぜなら、それは、その愛の物語の終焉を知っている人間の記憶でしかないから。過去をそのまま再現するのではなく、あくまでもヒトの記憶として再現されるソレはどこまでも暗い影に彩られている。たとえば、付き合い始めた頃の、二人でエレベーターに乗っているシーンでは、美しいはずの彼女の顔は照明によって、まるで死神にでもとりつかれたかのように頬骨が浮き上がって見え、老婆のソレのように大きく映し出される。


愛し合う二人はやがて結婚するが、あまりにも繊細で情緒的であったレイヤは、理路整然とした夫の科学者である友人たちに馴染めずにいた。小さな諍いが増え、精神の平衡を保てず、強い不安と焦燥を募らせていくレイヤ。そんな時、彼女は妊娠する。ソレが現状を良くさせることとは思えないくらいに病んでいたのであろうか。クリスに黙って中絶してしまう。そのことを知ったクリスは、怒りに任せて彼女のもとを去ってゆく。レイヤは絶望し、そして彼女の母親がそうしたように、彼女もまた死を選んでしまう。クリスが家に戻った時、すでに冷たくなっていたレイヤの傍らには、かつてクリスがプロポーズの時に送った(詩集の)詩の一節が…。(死んじゃっても、愛は永遠さ、みたいな)


ソラリスにおいて何度でも再生を繰り返すレイヤ。「客」である妻を次第に受け入れてゆくクリス。だが、目の前に愛する妻がいようと自らの記憶を消せない限り、その存在は彼にとっては麻薬のようなものでしかない。クリスの苦しみを知ったコピーであるレイヤもまた同様に悩み苦しみ…。(なんかデッカイ機械で消される?あ?)


そしてあらたな事実が発覚する。生き残っていた二人の科学者のうちの一人、スノー(ジェレミー・デイヴィス)はオリジナルではなく「客」のほうの彼だったのだ。やがて軌道を逸れてソラリスに向かって進みだした宇宙ステーション。このままソラリスの海に溺れるか、地球に還るのか。


場面は変わり冒頭のシーンに戻る。殺風景なキッチン。ナイフを滑らせるクリス。傷を水で洗い落としていると、瞬く間に治癒され、ハッとするクリス。そして目の前に妻レイヤが現れ、二人はそれぞれの孤独を抱えたまま抱きあう。「…神は許されたのよ。」と。


ラスト、船内で足を投げ出し苦しそうに座り込んでいるクリスに、ゲストである(友人の子の)少年がそっと手を差し伸べる。スクリーンいっぱいに映し出される、惑星ソラリス。それは彼にとって創造主たる神なのか。それとも醒めない夢をもたらす阿片窟だったのか。


あー、ヤダヤダ。見てから時間が経ち過ぎてて、すっごく曖昧。肝心なところがどーだったのかスッカリ抜け落ちている。ゴマカシ、ゴマカシ仕上げてみた。もちろん、原作の『ソラリスの陽のもとに』なんて読んでませんから!