『ミスティック・リバー』(2003)

監督:クリント・イーストウッド


どんよりとした曇り空の下。遊んでいた3人の少年たちの子どもらしい悪戯。それを見咎め、言葉巧みに一人の少年を車に誘いこむ男たち。不安げな顔で、押し込められた後部座席から一緒に遊んでいた友人たちをただじっと見つめる少年、デイブ。それを見送ることしかできなかった二人の少年、ビリーとショーン。その後、行方不明になってしまったデイブが、男たちのもとから逃げ出し保護されたのは4日後のことだった。この忌まわしい事件が、その後の彼らの人生に暗い影を落とす。


25年後、少年だった彼らはそれぞれが子どもを持ち平凡な家庭を築き上げていた。が、ある日、街の顔役となっていたビリーの愛娘が殺されるという事件を発端に、全ての均衡が崩れていった。刑事となったショーンが事件解決に乗り出すが、容疑者はあの幼馴染のデイブだった。二人の男たちに乱暴され続けた4日間の記憶が、今もなお彼の心にトラウマとなって巣くっていたのだ。


ビリーの娘が殺された前夜、彼は血だらけになって帰宅した。強盗にあって夢中で殴りつけ殺してしまったかもしれない、と妻に告白するデイブ。だが、彼の過去を知る妻は、彼の心の不安定さを理解しているがために彼を信じることができずにいた。ビリーの娘を殺したのは彼かもしれない、と。


ネットリとした愛情で窒息しそうだ。若い男女の愛、娘への父の愛、兄弟愛、夫婦愛。いや、この街を鬱蒼とさせているのは、愛情という名の元の異常だ。愛情の名の元でなら全てが許されるという正義。それがこの街を支配し、歪んだ愛情を静かに増幅している。夫が殺人を犯したかもしれないと恐れるデイブの妻とは対照的に、殺人を犯した夫を神とでも崇めるようなビリーの妻の姿は、まるで、その「正義」という名の宗教の熱狂的な信者のようだ。


スクリーンに映し出されるのは、それゆえに、登場人物の誰しもが真実を見失った異常な終結。忌わしい過去を持つデイブは、この街の肌に纏わりつくような異常な愛情と正義の捌け口として恰好の餌食、いや生贄となったのではないだろうか。まず、行動ありき。真実は置き去りにされる。まるで、今のアメリカのようだ。WMD大量破壊兵器)は見つかったのか?とか。