純粋な瞳のイキモノに弱い


昨夜、たまたま点けていたテレビ番組にジャン・レノが出演していて、婚約者のことをとても好きなことはわかっているのに、どこが好きかと尋ねられると答えることができない、と言っていて、すごく共感した。昔、初めて付き合った彼に「俺のどこが好きなの?」と尋ねられて「わからない」と答えてしまったことがあるからだ。


「ええ!わからないのォ?!」
「うん、わからない。」
「そんなのあるか。普通は言えるだろ。」
「だって、わからないんだもの。言葉でなんて言えない。じゃあ、Y君は私のどんなとこが好きなの?」
「えー、真面目なところとかー。」
「そんなの。私より真面目な人なんていっぱいいるよ。」


彼が私の好きなトコロを一生懸命挙げれば挙げるほど、私の落胆は大きくなった。その彼とはすったもんだがあって、結局数年の後別れた。


2番目に付き合った彼は非常にモテる人で、所謂遊び人だった。が、改心したと言って私との老後まで想像していた。故郷の美しい雪景色の中を一緒に歩きたい、そして彼の祖父がそうだったように、私の最期を看取った翌日にポックリ死にたいと言っていた。


3番目に付き合った彼が、これまで私が最も愛されていることを実感できた人だ。見た目はガリガリの大男でちょっと怖い感じだったけど、ハンサムで、一度でも彼と話せば老若男女を問わず誰からも好かれ信頼される人だった。そんな彼に、私は意地悪くこう言って試したことがある。


「○○(彼の名字)は、私のどこが好きなの?」


その質問にちょっと驚いていたようだったが、すぐにしっかりした声で


「××(私の名字)だから。××の存在そのものが好きなの。俺のこれまでの人生は、××と出会うためにあったんだって思うんだよ。」


彼の純粋さは只者ではない、と思った瞬間。私など足元にも及ばないほど、彼は「愛する」ということを理解していた。にもかかわらず、その対象を長いこと見失っていたのだ。彼は慈しむということ、惜しむということ、あらゆることを私に示してくれた。


そして今、私は、その彼から学んだことを残念なことに未だ誰にも示すことができないでいる。