東京日和


 バタバタな朝。昨日予約した高速バスのチケット、この到着時間では昨夜ネットで調べて唯一見たいと思った映画、『エッセンシャル・キリング』には間に合わないことが判明、ただただ暑い東京をアチコチ歩き回る気にもなれず、Pちゃんのダンスのみに照準を合わせることにした。まずは15:40東京着の高速バスに変更。電話で問い合わせると変更できる時間が10:45まで。最寄の旅行会社が開くのは10:00で余裕のはずだった。なのに、アイロンがけをしていたらいつの間にか10時を回っていた。スッピンで(まあ、いつものことだが)髪もボサボサに纏めてアップにしただけで(これもいつも通り)慌てて車に飛び乗った。

 チケットの変更を無事済ませ、帰宅してまたアイロンがけ。軽く昼食をとり出掛ける準備。伸びた前髪がきまらない。両サイドの髪を少し掬ってオールバックにし後頭部でゴムできっちりしばったら狐目になった。首の回りに長い髪がまとわりつくのも欝陶しかったので二段にして全部後ろで一つに纏めた。顔、小さ過ぎ。

 バスの中では前日に買ったレベッカ・ブラウンの『私たちがやったこと』を読んだ。短編集なのね。描写が細かい。読みながら、ブロガーの○○さんの文章を思い出し、彼女が小説を書いたら、きっとこんな感じになるんじゃないかな、とふと思った。

 読み続けて、表題になっている「私たちがやったこと」の互いに相手の目と耳を傷つけるシーンでは、本なのに思わず持っていた腕を前へ突っ張らせて、目をギュッと固く閉じて顔を背けてしまった。どうしても、読みながら頭の中で映像化してしまうのだ。主人公は「悲しいとは言えない」と物語の中で言っていたけど、やはり哀しい話だ。パラパラとページをめくっているうち、翻訳者の名前に目が止まった。柴田○幸。柴田、○幸…、なんだろう?リアルで知っている人のような気がした。柴田なんて名の知り合いいたっけ?柴田、柴田と頭の中で唱えながら記憶を掘り起こしてみたものの、そんな印象に残るような人は見つからず、なんだか喉元が痒いような感覚だけが残った。


 バスは20分遅れで到着。待ち合わせしていた姪っ子のAちゃん(姉の二女)は羨ましいくらいに肌の色が真っ白で、すぐにわかった。16:30くらいに会場入りし、妹と合流。ほどなくもう一人の姪っ子Yちゃん(姉の長女)もやって来た。で、そこからPちゃんの出番まで1時間半くらい。これなら、映画余裕で見れたな、と思ったが、いやいや今はまだオアズケだ、これでよかったのだと思い直す。Pちゃんの出番が迫ってくるにつけ、なんだか胸騒ぎが。妹が中学生の時、新体操で県大会に出場しリボンの演技では高得点だったのに、輪の演技でミスしてしまった時のことが頭に浮かび不安になった。Pちゃんは本番に強いから大丈夫、とそのイメージを払拭しようとしてもなかなか消えなかった…。


 終わってPちゃんの所に行っていた妹に様子を聞いてみた。


「Pちゃん、どう?」

「怒ってた」

「そか、怒ってたか。ならいい。泣いてるんじゃないかと思ったから」

「どうだった?って聞いたら、そんなの見てたらわかるでしょ、って言われちゃった」


 しばらくして、いつになく元気のないPちゃんがやってきて、私たちからちょっとだけ離れた所で壁に寄り掛かった。妹がトイレに行くと言って出ていってから、Pちゃんの横に行き微笑みながら左手の人差し指の第二間接で、彼女の右の頬っぺたをそっと押した。嫌がるでもなく、ゆっくりと背を向け、やがて向き直って「トイレに行ってくる」と。横顔からチラと見えた、目に浮かんでいたものは錯覚であったかのように消えていた。

 Pちゃんを「彼女」と書いたのはたぶん初めてだ。見た目は赤ちゃんの時とそんなに変わらないほど幼いのに、そのくらい、Pちゃんはしっかりした子に成長していた。

 きっと、悔しくて悔しくて悔しくて悲しかったろう。でも、その悲しさを彼女は人前で堪えてみせた。そのことが、とても頼もしく思えた。この子は、悔しさや悲しさをバネにできる子だ。今回は緊張し過ぎちゃったかな、いつも表情豊かに楽しそうに踊る子なんだけど。本当の緊張を体験するのはもう少し後でいい。今は踊ることが好きだという純粋な気持ちだけで。


 ということで、夜の7時過ぎまで皆オニギリ1コとかいう食事しかしてなかったので、お腹ペコペコのヘトヘトでグッタリ状態。駅前の丸井の中の中華料理のレストランに入る。座席につく時、私がここに荷物置いたほうがいいとかやっぱりこっちがいいかとか言ったもんだから、Yちゃんに「もお、メンドクサイ!」と言われる。いつも妹からは無駄にテンション高い、落ち着け!と言われている私。負けない。みんな好きなものを銘々に注文。豆腐と蟹肉のスープ、優しい味、美味しかった。お会計は今日用事でこれなかったおじいちゃんとおばあちゃんから美味しいものを食べるようにと前日に預かってきたお金でお支払い。AとYも来るとは誤算だった。

 が、今回おじいちゃんたちは来なくてある意味正解だった。暑くて大変なのはもちろんだけど、妹が県大会でミスった時、父は「お父さんが見に来たから緊張して失敗したんだ…、お父さんはもう見に行かない…」と頭を抱えて、もう行かない、もう行かないと譫言のように繰り返していた。それが可愛い孫ならば、父のヘタレ具合は半端なかっただろう。


 帰りは中央線で皆と一緒に新宿まで。電車の中で横に立ったPちゃんが私の顔をしげしげと眺め、「フルフル、シワふえたね。目の横じゃなくて、下のトコロ」と、自分の顔の同じところを人差し指で指しながら言う。もういい年だからね、と答えた。でも、きっとそれは笑い皺だよ、Pちゃんと一緒だと嬉しくてつい笑っちゃうの。新宿に着いて、四人はそこから乗り換え。ホームに出ては手を振り、電車が動き出しては手を振り、私はそのまま東京駅まで。


 座席に座ることができて疲れが出たのかぼーっとしてしまった。電車が止まり、あれ、ここ何処だろ?とホームを見ると御茶ノ水。突然、隣に座っていた品のよい老婦人が「あら!ココ東京駅じゃないかしら!東京だわ!」見ると車内の電光掲示板は確かに「東京」になっている。釣られるようにしてドアまで一緒に行った後、いや、やはりここは御茶ノ水だと、電車を降りそうになった老婦人を呼び止めた。二人であらあらという感じで笑いながら車内に戻り、今度はさっきの向かい側の座席に並んで座った。「私ったらそそっかしいところがあるのよ。この前は新幹線でこだまとのぞみを間違えて…」と、婦人は恥ずかしそうにずっと話しまくった。私はそれを笑いながら相槌を打って聞く。朗らかで品よく、年を重ねてもどこかかわいらしい。聞けば高円寺まで息子さんのライブを見に行ってきたという。


「今度ね、CDデビューするの。といっても、もういい大人なのよ。ロックなんだけれど、なんていうか大人のロックなのね。これ見本のCD。好きなことをやれてるからいいと思ってるの」


 小柄な方だけど、器は果てしなく大きい!あちこち海外を旅した話などをしてくださって、東京駅に着いて構内を移動してる時もずっとワイワイ話していた。いよいよ新幹線の乗り口が見えて来て立ち止まり、そしてそこからまた立ち話が10分くらい続いたか。私はもっと海外を旅したお話が聞きたくて、「お茶しませんか?」と、何度言おうと思ったかしれないくらい。婦人はバッグから名刺入れを出して一枚引き抜き、「実はね、私、プロダクション会社作っちゃったの。一人でやっているんだけど。近所の写真屋さんに作ってもらったのよ。」

 びっくり。なんか海外とかアートとかの話にシンパシー感じるなあ、と思っていたらこういうことかと。もうずっと昔なんですけど、私もほんの少しだけそういう仕事をしてたんです、と言うと、「あら!まあ、やっぱり。私ね、そういう勘が働くのよ!お名前聞かせて下さる?」名前を告げると、「ウチ、ゲストハウスがたくさんあるから、こっち(静岡)に来ることがあったらその番号に電話してちょうだい。主人が出ると思うけど、○○の××さんて言って頂けたらわかるように言っておきますから!」


 70才とおっしゃっていたけど、とても若々しい。ウクライナ人(*1)じゃなくてもビックリだ。プロデュースしてる公演がクラシックなだけに音楽にも造詣が深く、自身は琴をもう50年以上続けているのだそう。ご実家は金沢で、世界中の古都旅して回ったけどやはり金沢が一番いいと言っていた。こうなったら、因縁の静岡と、古都金沢はいずれ行かねばなるまい。


 夜中の1時過ぎに帰宅。シャワーを浴びてソファーに座り、そうだ婦人に手紙を書こう、メールじゃなくて手紙を書くなんていったい何年ぶりだろう?なんて思いながら頂いた名刺をゆっくり眺めて、改めて気づいた。


プロダクション△△

代表 柴田 ○○○



(*1) 昔の職場の女性研究員、日本の女性はいくつになっても活動的で若いと驚いていた。私なんて年齢言っただけで笑われた。それまでシクシク泣いてたのに!