青いバラ

Blue Moon



 22時過ぎ、個別受信機がこれまでにない大音量で、ひび割れたような声を部屋中に放つ。あまりの騒々しさにコードを引っ張るがなかなか抜けない。振り返るとテレビも同じ、津波注意警報だ。ベランダに出ればやたら明るい夜空が広がっている。部屋にいるのはもったいない夜だ。


 ケータイと懐中電灯をもって月光浴に出かける。とても静かな夜。今夜の月はやはり特別みたい。薄い雲に覆われようがものともせずに存在を主張し、屈折した光線は琥珀色の波を打つ。まるで沙羅双樹、夏椿のようだ。

 気を取られて上ばかりみて歩いていたら折り返す道を間違えてしまった。国道に出てしばらく歩いていると、どこかにスピーカーでも取り付けてあるのか、海岸には近づかないように、と、注意を促す放送が車の往来も少なくなった沿岸の町に響き渡る。いつもは渡らない横断歩道。信号がちょうど青になったのを見て駆け出した。


 国道を横切ったその先には小さな見晴らし台がある。木が生い茂っていて海は見えそうにない。が、歩道をもう少し行くと何もさえぎるものがない鉄柵だけの崖っぷちになる。しばらくそこで海を眺めていると、先ほどのスピーカーの正体が現れた。崖下の海岸通りを消防車が1台、ゆっくりと流れて行った。波は穏やかだ。ただ月の光が届かない闇の向こうの水平線に、不気味な2つのきのこみたいな雲が見えた。

 
 次の信号を渡って楕円を描くようなコースで帰る。この頃には月は漂う雲の中でハンカチツリーみたいになっていた。ケータイを見ると23:16、もう一回りしようかという考えが頭をよぎるが、ボディガードもいない身なのでおとなしく帰ることに。

 家の敷地に入ると、月が急に翳りだす。雲なんてものともしないで輝いていたのに、さっきとはまるで違う種類の雲に覆われていた。白い雲の裂け目だと思っていたのは、真っ黒な煙のような雲だった。その黒い雲が何度か満月を不機嫌にするのを見てからアパートの階段を上り、その二階の端でしばらく眺めていた。


 部屋に戻って、吹き出す汗とは反対にカラカラになった喉をグレープフルーツのアルコールで潤しながらまたベランダに。いつの間にか彼女のまわりに雲は一切なくなっていた。


 ありがとう。今夜のあなた、とてもきれいよ。
 さっきの願い叶えてくれる?返事してよ、ねえ。


 月をじっと眺めていると、だんだん焦点が合わなくなってきて、ぼやけてきたなと思った時にそれは起こった。彼女の輪郭が大きく幾重にも揺れだしたと思ったら、それはほんとに不思議なことなのだけれど、その何層にもなった輪郭の部分が青色に変わったのだ!その層になった青い輪郭は外側に広がっていき、私のブルームーンよりも遥かに青い、バラの花に変化した。


 アルコールのせいでも視力が落ちたせいでもかまわない。今宵、天に咲いた青いバラを、忘れない。




 午前零時すぎ、津波警報は解除された。