『電車男』(2005)


監督:村上正典
原作:中野独人
出演:山田孝之中谷美紀


アキバ系のオタク君がふとしたことから美女と知り合い、それを顔も知らない大型掲示板に集う面々が応援するという、ラブ・ストーリー


邦画は殆ど観ない洋画派な私ですが、もう1本の方が『炎のメモリアル』でしたから、だったらコッチ、ドラマも始まることだしと選択。かなりハードなスケジュールで製作されたと聞いていましたが、思っていたよりも丁寧に作ってあったと思います。掲示板に書き込みする人たちの姿、特に会話のなくなった夫婦がそれぞれ部屋にこもって一緒に電車男を応援しているという設定など、それぞれの抱える孤独からの逃げ場がネットになっているという。や、逃げ場があるということは大事なことですから私は決して否定しませんが、「健全な生活」というのを考えるとやはり「エルメス」のようにネットからは遠い存在なのではないかと思ったりしてしまいます。まあ、原作を読んでいないのでその辺の描写が本ではどうなっているかは全くわかりませんが。


主人公の「電車男」が山田孝之では元々の顔の造作がよすぎで変貌ぶりに親近感がもてない、等と思う方もいるかもしれませんが、人の外見など髪型一つでガラリと変わるもんです。特に眉毛を描いている女性なら、毎朝己の変貌振りを確認しているはず。要はそのオタク君の中にある特別な何か、共鳴するように小さく輝く星を見出すことができるかどうか。(エルメスは見逃さなかったわけ)電車男は「出会い」をきっかけに、見知らぬ人たちの応援を受けガンバリました。そして、最終的には背伸びすることではなく本当の「自分」を勇気をもってさらけ出す。これは賭けです。こんな自分でも受け入れてもらえるかどうかという。これらのことは「オタク」と呼ばれる方に限定される特別なことでは決してありません。我々の中にも大なり小なり「電車男」は存在するのではないでしょうか。少なくとも私はこの映画を観て、「私も電車男だなあ」と思いました。その思いが涙を誘ったのかもしれません。いえ、寸止めしましたが。


それにしても、中谷美紀演じるエルメスは人間的な感じが全くしませんでした。世の男性全ての憧れというか、美しく、優しく、賢く、フェアな、まるで女神のように素晴らしい女性に描かれていて、それがいっそうファンタジー感を醸し出していました。エルメスが「世の中の男性がみんなアナタみたいだったらいいのに」と言うセリフがありましたが、世の中の女性がみなエルメスみたいだったらいいのに、と思っている殿方もきっと多いことでしょう。