冴えない直感


何かを批評する時、引用のツギハギに終始してしまうヒト。その出典元を明らかにしない(悪質な)場合は、単なる自己満足であることが多い。が、本人はそのことに気づかず、無意識であるがゆえタチが悪い。思考は常に浮遊し、そのため挙動不審、アキバ系となかなか見分けがつかないことも。他人を見下すことにかけては天下一品。プライドが高く、否定には拒絶(無視)で反応。よって恋愛経験値は極めて低い。


つまり、知識の詰まったガキ、と。(私も相当意地が悪いなあ)


以上、「アタマデッカチ」という言葉から思いついたことを。


なんだか、ここ数年どうもオカシイ。私の最も信頼すべき野性の直感の着地点が、途中で何かの障害を受けるのか邪魔が入るのか、微妙にズレているような気がしてならない。これまでだったら、絶対に有り得ないことばかり。今の職場にしてもそうだ。学生たちに囲まれてお気楽に働く予定だったのに、なぜか付属センターの教授付きに。これがなかなか大変。仕事の内容ではなく、振り回され具合が。が、劇団主宰付きの時よりはずっと楽ちんだが。(アレは別世界のお話)


で、もうどうにもならないことを忘れるにはどうしたらいいか。避けたり逃げたりするために他のことに打ち込むというのはまだ囚われている証拠。手っ取り早い方法は繰り返すこと。そこから学習しながら、納得するまで何度も何度も繰り返し続けること、かな。でも、その繰り返しという経験を簡単にはできないってことも事実。年とるとダメージも大きいから臆病になるしね。て、そんなガラじゃない。


ああ、いい加減オトナなのだから、加減をとって「いいオトナ」にならなければ。精進、精進。