オジサマよりもオジイサマが好き!


 目覚めたら雪、というわけにはいかなかった。


 テレビは、ネタ切れになったのかコメンテーターに変なコーナーを与え迷走感漂っていたスパモニが流れていた。今日は鳥越か、とチャンネルを変えようとしたが、やたら高揚してずっと会いたかった人にアメリカに行って取材することができましたと言うので、ちょっと気になってCMになってもそのままにしておいた。
 そしたらなんとなんとあ〜た、クリント・イーストウッド様じゃないですか!おてがらだよ、トリゴエ!まさかアナタと私のクリントファンの歴史が一緒とはね!ガンを克服してから付けていたというバッチに気づいたC・Eにそれは何かと尋ねられ、その場でプレゼントしたという「無敵」バッチ、クリント様にとても似合っていました。ぐっじょぶ。

 そのままチャンネルを変えないでおりますと、特番の「母の衣に抱かれて 津軽 袰月ものがたり」という、もんのすごーく素晴らしい番組を見ることができたこの二度にわたる僥倖!およそボランティア精神のカケラも持ち合わせていないはずのワタクシが、袰月(ほろづき)に住むお年寄りたちのお世話をしに移住したい!なんて殊勝なことを一瞬でも思わせてしまうくらい心にじぃ〜んとくるミラクルな感動作だったのです!


 「桜が好きだ。どうしようもない。」

 80過ぎのナオイチさんは、畑に置かれた1mばかりのカゴをとり、挿し木した7本ばかりの細い小枝についた小さな固い芽を見て嬉しそうに、「昨日もきたんだ」と言いながらペットボトルに汲んできた水をやります。
 先立った妻への感謝の言葉と重なり、桜に対する愛情が妻との暮らしそのものなんだと思いました。

 子供と一緒の方が楽しいし心強くもなるけれど、それでは貧しいままの暮らしから子供を抜けださせてやれないと、別れて暮らす道を選んだ袰月に住む人たち。が、老人だけになってしまったこの小さな漁村に住む人たちは皆支え合って生きている。遠く離れて暮らすことができない確かな温もりがそこにはあった。
 盆にやって来る孫とのつかの間の時間、帰る日はとても辛そうだ。一人暮らしの87才のトキジさんは雪おろしができなくなってから、周りの人に面倒をかけられないと冬の間は青森市内に住む息子の所に妻の位牌を持って行く。賑やかになるから楽しいだろうと思っていると、トキジさんは寂しそうにしている。戦争に出兵した時、もう袰月に帰れないかもしれない、と思ったという。迎えにきた息子の車の中で、高齢のトキジさんはその時と思いを重ねる。

 ラストの海をバックにした屋外で、椅子に座った老人が自分よりちょっと若い老人に散髪してもらっているシーンは穏やかな優しい空気が二人を包んでいて、そのシーンを見ることができたことにただただ感謝した。本当に美しい世界がそこにはあった。

 建国記念の日だけど、私にとっては敬老の日となりました。なんか当たり前かもしれないけど、加齢とともに、幼少時からのシブイオジサマ好きは懐深いオジイサマ好きになってきてるみたいだ。いよいよか。