祖母との思い出


 母方の祖母の家の台所にあったもの。大きく割れた赤い柘榴の実が二つ、人の味がするんだと言ったのは母だったか。酸っぱい、ヒトってこんな味がするんだ、ポロポロとれるのは面白いけど、殆ど種ばっかり。虫よけのネットの中のお皿には、お砂糖とお醤油で味付けしたちょっと茶色くて、甘じょっぱい大好きな卵焼き、祖父が採ってきた大きく傘の開いた立派な松茸。曇り硝子を透してもハッキリとわかる戸棚の中の真っ赤なビックリグミの果実酒、とその横には梅酒。

 木登りが得意だった身軽な私が枝の先ギリギリまでいってもぎった枇杷の実を下でうけとる小さい従姉妹たち。枇杷なんて木になっているものを食べるものだと思っていた。庭には金柑、夏みかん、桃、スモモ、イチジク、柿。

 丸太のまな板で、はじいた菜っ葉を包丁で細かく刻んで鶏の餌と混ぜる。このお手伝いはオママゴトみたいで楽しかった。餌をあげる時、卵をとるのだけど鋭い嘴でつつかれそうで怖くてとうとう一度も取れなかった。市場に持って行くほうれん草を小分けして藁で一束一束丁寧に結ぶ。残った藁を貰って、落ちた赤い椿の花を通して作った首飾り。稀に白い椿が落ちてればラッキーだ。リュウノヒゲの中から見つけた青い実は葡萄の変わり。田んぼの用水路から流れてくる庭の端を流れるとても小さな川にそれぞれ作った笹舟を流して、畑のずっと先の大きな川と合流するところまで、行く手を阻むぼうぼうに延びた草や枝をかいくぐって夢中で追いかけた。家の壁にくっついてる地蜘蛛の巣、慎重にゆっくり引っぱって途中で破けずに先ちょに丸く膨らんだ獲物を捕まえられた時のあの快感、糸引き飴で大きいのを引き当てた時より気分いい。

 ちょっと先の日当たりのいい土手に蓬を摘みに行くとき、遠回りは面倒だと薄暗い木立の、所々根っこの飛び出した急な土手を、私たちにお手本を見せるように、先頭をきって少女のように楽しそうにあっちの枝こっちの枝に捕まって滑り落ちないように駆け抜けて行く祖母に、キャーキャーと声を張り上げながらカルガモのヒナのように後に続く孫たち。ジェットコースターなんていらなかった。


「こういう柔らかい葉っぱをいっぱい摘むんだよ、後で草餅を作るからね。ほら、この細長い葉っぱノノヒロって言うんだよ。引っこ抜いてごらん。玉葱みたいに膨らんでるでしょ。洗ってお味噌つけて食べると美味しいんだよ」


 玉葱は食べられないのに、ノノヒロは大好きになった。

 祖母の家は、祖母が小学校にあがるまでは裕福な家だった。が、祖母の父つまり曾祖父が父親の悪いとこだけを真似して遊びまくり、破産してしまったという。祖母の年の離れた姉は女学校を出たというのに、祖母は小学校も満足に行けないまま武家屋敷に奉公に出たそうだ。


「おばあさんは字は読めないけど、その他のことはなんだってできるよ」


 誇らしげにそう言って笑う祖母の手は、大きくて、太った体からはちょっと想像がつかないほど細くて長い、爪の形も畑仕事をしてきたとは思えないほど整った女爪で、美しい指を持っていた。