震災後の赤兎行

fleurette2011-03-30



 午後、赤兎(キャノンデールMTB)で海へ。

 砂浜が広い南浜の厚いコンクリートの防波堤が砕け、大きな土嚢が笠地蔵のように並んでいた。狭い道路を挟んで並んでいた海岸通りの家はどこもガラス戸が木の板で覆われている。
 古い木造の海の家は倒壊。作業してる人もまばらで、このお天気のせいなのか、なんだか長閑な風景に見えてしまう。
 漁港の近くには7、8人くらいの小学生の男の子たちが自転車を横倒しに停めて野球をしていた。
 その横を通り抜け、烏帽子岩から海に延びた埠頭を立入禁止の所まで赤兎で初めて行ってみた。途中擦れ違ったおじさんは砂地では自転車を下りて引いていたけど、赤兎ならだいじょうぶ。

 民家の被害の様子を撮影する気にはなれなくてキョロキョロしながら走らせてきたが、ここからはそれもよく見えない。霞がかかっているようだ。遠くの一基の風力発電がピンボケ写真のように見える。
 いつも休憩をとる海岸は砂浜が消えて、沖から転がってきたテトラポッドとプロムナードに続く階段には既に緑色の藻が張り付いていた。ほどなく、先を赤いコンコースに阻まれて、その理由の一つをカメラにおさめた。
 友人の両親がやっている海の家の前まで戻り、あれ?と思う。ずっとココだと思っていたのに、よく見ると名前が違う。狐につままれたみたいだ。掃き掃除をしていた年配の女性に訝しがられ、ペダルを踏む。草の生えた小高くなった砂地を立ち漕ぎで駆け上がり、烏帽子岩の後ろからまっすぐ建っている石の鳥居を撮る。今度は下り。さっきから後輪の砂を噛む音が気になって、野球をしていた子たちに近くに自転車屋はないか聞いてみた。


「知らなーい」
「あ、○○にあるじゃん」
「こっちだよ」
「でも、遠いよ」

そこなら知ってるけど、うん遠いね。

「ありがとね」


 途中の信号待ちで、初めてボトルに手を伸ばした。
 ツルマレから菩薩峠に格下げ?になった坂道を加齢にスルーして遠回り。某企業の寮は今にも外壁が崩れ落ちそうな気配。
 いつものコースに戻る途中、小さな自転車屋さんを見つけた。


「すみません、後輪の空気が抜けちゃったみたいなんです」
「どれどれ、ちょっとこっちに」

シュッシュッと二回音がして、3秒で終わった。

「わ、すごい。うちでやるのと全然違う!おいくらですか?」
「いや、いいですよ」
「え、いいんですか?!(妹宅の近くの自転車屋で空気入れして貰った時は1,900円かかったが、アレは車で自転車を運んでもらったからなのか)すみません、ありがとうございます」


 赤兎を引いて行こうとした時、隣接した民家から奥さんらしき人が現れ、こんにちは、と互いに会釈する。その笑顔が素敵。
 交差点で信号待ちをしてる時、待てよ、どうせならあの店でチャリ用の洗剤や油脂を買おうと思い立ち引き返してみたが、そういうのは置いてないと。聞いてみたら、オープンしたのは去年の12月だという。まあ、これも何かの縁だ、パンクの際はよろしく。

 家の近くまで走った所で、ついでに前輪も入れて貰えばよかったかな、いやいや、そんな欲張ったらきっとあの自転車屋さんにだって気づかなかったかもしれないぞ、前輪は帰ったら自分で入れよう、等と考えながらペダルを漕いでいると、全く同じような格好をしている女子が疲れたのか自転車を下りて引いていた。
 ちょっとだけ先輩面をして、その横を駆け抜けたのは言うまでもない。