6月4日

fleurette2011-06-04



 中学生の時、妹が小学校の友達の家から三日間だけと言って白い仔犬を預かってきた。鼻の頭がピンクのコブタみたいなブサイクちゃんだった。動物があまり好きではない母は「飼わないよ」と釘をさした。

 母が言うには、子供だった時に飼ってた犬が近所の子供に悪戯されたはずみで噛んでしまい、保健所に連れられて行くことになった日、その犬は縁の下に隠れてなかなか出てこなかったそうだ。


「きっとわかってたんだよ、かわいそうだから動物は飼わない」


 母のお決まりのセリフだ。

 その話はホントだと思うが、母が動物が動物嫌いなこととはまた別のことだ。実際、祖母の家には一番下の叔父が飼っていたスピッツがいたが、母がその犬に声をかけたり構ったりしているのを見たことがなかった。姉と一緒でケモノが嫌いなのだ。


「玄関に置いてね」

 母のめんどくさそうな冷たい声のトーンなど気にも止めずに、妹は段ボールを組立て、中にタオルを敷き、水の入った器を入れた。私は幼稚園の頃に、仔犬を産んだばかりの母犬に不用意に近づき噛まれたことがあったので成犬は恐かったけど、仔犬なら噛まれても痛くないから平気という程度だった。「コブタじゃないの?」と、妹をからかっては一緒にご飯をあげたりした。

 夜、ワンコも妹の腕の中で眠り、妹もそろそろ寝る時間になったので、玄関に置いた即席寝床に仔犬を移しに行った。すると置き去りにされた仔犬はすぐ段ボールの中で母犬を恋しがって泣き出した。最初のうちは妹が何回か面倒を見ていたようだったが、とうとう自分も眠くなって参ってしまい、部屋で中間テストの勉強をしていた私に泣きついてきた。


「フルちゃん、泣き止んでくれないよぅ」

「わかった。どうせ起きてるから、段ボールごとここに連れてきちゃいな」


 母たちはとっくに休んでいたし、鳴かれて睡眠を妨げられるくらいなら大目に見てくれるだろうとふんたのだ。妹も安心して隣の部屋のベッドにもぐりこんだ。

 玄関よりは暖かいはずなのに、しばらくするとまた震えながら母犬を恋しがって鳴くので、着ていた半纏の中にすっぽり包んで抱き抱えるとすぐ安心したように寝てしまう仔犬を見て、こんなにちっちゃいのに母犬と引き離すなんて早過ぎないか?三日間て、旅行にでも行ったんだろうか?と、妹と同じようにその言葉を額面通り受けとっていた。

 そろそろ段ボールに戻してもいいかな、と、いらなくなった古い毛布も入れて寒くないようにしても、人肌が離れた途端に鳴き出すので、私はタオルを二枚用意して赤ちゃんのオムツのように仔犬に巻こうとした。そうすればオシッコの恐怖から少しは解放されるだろうと思い、その作業に入った正にその時、ベッドの上で粗相をする仔犬。


「あららら」


 幸いなことにオムツの上からカバーにしようとビニールの風呂敷を敷いていたので布団は無事だった。仕切り直してオムツを付け、一晩中抱っこして勉強することにした。うつらうつらした時に、半纏の前が開いて落ちないようしっかりくるんで上からベルトで固定した。たまにピンクの鼻を確認しながら…。

 そんな風に過ごした三日目、学校から帰るともう仔犬はもういなかった。ああ、母犬のところに帰ったんだな、と思っていたのに、その仔犬が保健所に連れて行かれたということが耳に入ってきた。あの三日間はお試し期間で、気に入ったらそのまま飼ってもらおうという大人の算段だったらしいのだ。名前もまだなかったあのコ、私の腕に抱かれて安心して寝息を立てていた、鼻がピンク色のコブタみたいなコ。保健所に。

 以来、私は母のように動物を見ないようになった。正確には飼われていない野良犬たちを。飼ってやれないことがわかっているのに、情が移るのがイヤだった、中途半端に関わりたくなかった。友人が無邪気に野良犬にパンを与えたりしているのを見ては、さりげなく背を向けて、どうせバイバイって言ってすぐ忘れちゃうんでしょ、このコはまた置き去りにされるんだ、と。

 そんな私が社会人になって、人並みにいろいろと経験し、田舎に戻って三ヶ月が過ぎようとしていた時、― 小雨の日だった ― 突然、ケンブは現れた。

 海岸沿いの原っぱから私の運転する車の前にトコトコと飛び出してきて、ストンと姿を消した。側溝に落ちてはい上がれなくてパタパタ動いてる前足が見えた。

 あんな所にほっといたら死んじゃう、と、車を原っぱに止めて、ちょっと薄汚れた白いころころした鼻の頭の黒い仔犬を抱き上げた。この時から既に決まってた。このコは最期まで面倒看るって。

 でも、本当に救われたのは私のほうだった。今日はケンブの三回目の命日だ。ワンコでも命日って言っていいんだろうか?よそのお宅のワンコが死んだと聞いた時、つい、"なくなった"と言ってしまった。相手の女性はすかさず、「犬は死んだと言うものよ」と。そう言われた時、何かがチクリと胸を刺した。「亡くなった」じゃなくて、うしなってしまったという意味の「失くなった」ではダメだろうか。

 何年経っても、泣くときは、泣く。



今日の花 : クレマチス(白万重)
撮  影 : 東京カウボーイ