続きと、、、


 3月の東北旅行の続き。待ってる人もいないと思うので自分の記録ということで。

 
 盛からBRTで一ノ関までのチケットを購入。距離があるので、途中下車可であることを駅員さんに確認。陸前高田で調べておいたカフェで昼食を食べようとしたら日曜定休であった。どこまでもツメがアマイワタクシ。コンビニ食で我慢し1時間後のバスに乗り込み、お次は奇跡の一本松へ。




 残念なことに一本松はサイボーグ化していて避雷針がうっすら確認できた。次のバスを待つ間、お土産屋さんの隣のフロアで催されていた震災時の写真展を見ることに。中では映像とともに当時の様子をボランティアの方が説明されていて、経験からなのだろう、「地震の後は津波の第二波がくるから絶対海に様子を見に行かないでください」と力説されているのが印象的だった。




 それから気仙沼行のバスに乗り込み、長閑な釜石線で夕刻一ノ関へ。ホテルへ直行し荷物を置いて、夜のベイシー参り。今回は残念ながらライブはなく(前回がものすごくラッキーだったのだ)、室内を蔽うように流れるジャズを堪能。

 翌日は市内を廻ろうかと思っていたが、どっと疲れてしまいお昼には新幹線に乗り込んで帰途に。自宅から最寄の駅に着くと、東北よりも寒いではないか。そしてバスを待っている間にその寒さにやられてしまい風邪をひく。で、激やせしてしまい、薄っぺらくなってしまった体を鏡に映して見ては「食べなきゃ!」という強迫観念にかられて、気がつけば激やせする前の体重より3キロ太っていた(←今だにココ)という有様ざんす。


 そして9月の頭にはすっかり恒例になった富山入りも果たし、おじいさんにしつこく絡まれたり、おばあさんを泣かせてしまったりしたのですが、それはまた今度。


 それよりも今の最大の懸念事項は、今通っているジムでクマ型北京原人みたいなオッサンの付き纏いにあっていることだ。声を掛けられるわけではなく、車で後をつけられること2回(恐ろしくてその後は毎回コースを変えて帰宅)、帰りにフロントで待ち伏せされること数回、気味悪すぎて帰りが一緒にならないようにトイレに籠ったりしていたら、フロントに姿が見えないのでホッとしていると、壁に隠れてこちらをジト目で見ている姿が下駄箱のガラスに写っているのが見えて総毛立つこと二回。気付かないだけでもっとあったのかもしれない。


 朝、カーテンを開ける度に日に日に増えていった窓にぴったり張り付いていた手形、郵便物荒らし、やがていやがらせの電話が入り、顔もわからないストーカーとの電話での対決、「お前のやっていることは犯罪だ」と説教し、のちに引っ越し。あれからウン十年経っているのに、もう初老なんだからいい加減こういうことは勘弁してほしい。ジムに3年通って、男性とはスタッフとしか話さないようにしてきたのに。ジムで出会いなんか求めてないっちゅうの!ストイックに筋トレさせてくれ。もおお。。。


 

カヴェ、おめでとう!


 東北行の続き前ですが、ツールも始まっちゃったし黙っていられません。


 カヴェンディッシュがとうとう黄色ジャージを!レンショーさんの発射台を飛び出してからの猛追がすごかった。まるで約束されていたかのような第一ステージの優勝。以前、ステージ優勝を5個もとったってスプリンターはマイヨ・ジョーヌを着ることができないんだよな、とぼやいたことがありましたが、とうとうその時がやってきたのでした。レンショーと抱き合うカヴェのこぼれんばかりの笑顔、父親の顔ものぞかせていましたがやっぱりキューピーさんみたい。


 HTCコロンビアのころのトレインがかっこよくて大好きだったのだけど、ディメンションデータで最強トレインが見れそうな予感。

二度目の東北行(前篇)


 3月末の連休、天候にも恵まれ釜石から南リアスで陸前高田、奇跡の一本松、気仙沼、そして一ノ関と行ってきたのですが、帰ってきてから疲れがどっと出たのか風邪をひいていしまい、自分でもびっくりするほど薄っぺらい体になってしまい、「食べなきゃ!」と、ふらふらする体で豚肉の生姜焼きをつくりおきしては毎食食べるという生活をしておりました。


 そして気がつけば、激やせする以前の平常の体重から5キロも肥えておりましたわ、はっはっはっ(涙)。


 体重をもどすべくジムに通っていたのですが(と言ってもウィークデイのうちの3日くらい)、何かが間違っているのでしょう、例によって足の筋肉がすごいことになり体重はさっぱり落ちません。あきらめました。最近では筋トレしながら、自分はいったいどこにむかっているのだろう?、と思うこともしばしば。でも、このへんではなかなかお目にかかれない目の保養が現れたのでガンバリマッス。


 さて釜石行に話を戻します。


 初っ端から寝坊して、あわや電車に乗り遅れそうになる。でも移動で一日つぶれる日なので乗ってしまえばこっちのもの。夕方釜石着。車窓から流れる景色を見るのが好きなのに睡魔に勝てず、ホテルにチェックイン後もお風呂に入ってすぐ寝てしまった。


 翌日は南リアスで終着駅の盛まで。義兄が海がきれいだから降りて見たほうがいいというので、女性の駅長さん?に海岸に降りられる駅を聞いてみたところ、三陸に震災で犠牲になった方たちの慰霊碑があるとのことだったので、「そこに行ってみます、ありがとうございます」と、途中下車の駅が決まった。



 釜石線の車両に乗り込み出発の時間まで座って休憩。運転士さんが乗り込み発車と同時にカメラを用意して先頭に移動。すると年配のオバサマ&オジサマの4人グループが「私たちも!」と隣にやってきた。



オバサマ「やっぱりこの電車に乗るのが目的で来たの?」

 私  「はい」(これじゃまるで「乗り鉄」じゃないか)

オバサマ「そうよねえ。天気もよくてよかったわよねえ」雑談が続く


運転士さんが言うには、「この時期に暖房を入れないで走るなんてあり得ないです」と。

途中の駅で、「ホームの柱に赤い線が引いてあるでしょ、あそこまで津波がきたんですよ」
え、え、と私が電車から降りて写真を撮るのを躊躇していると、オバサマが「撮った?まだ大丈夫よ、せっかくだからほら撮りなさい」と。



 オバサマ、ありがとう。


 三陸について別れを告げ、駅の売店の方に慰霊碑のある場所を再確認する。それにしても暑い、コートなんていらないくらい。


 慰霊碑に祈りを捧げてから、次の電車の時間まで休憩。





 駅に向かうと、慰霊碑のところで会った自転車の女性が輪行の準備をしていた。同じ盛行きの電車に乗り込んだのだけど、恋し浜(NHKのドラマで有名になったらしい)まで着いてから逆方向の電車に乗り込んだことに気づいたようで慌てて降りていた。この駅は記念撮影のスポットになっていて下車しない乗客もわらわらと降りていく。運転士さんも十分時間をとってくれているようだ。



 盛、着。この後はBRTで移動。




 てか、長い!もっと簡潔に書けないのか自分。てことで、続く。



  

とうとう妹にまで

屋敷しもべ妖精




 妹:「どうしたの、瞼腫れてるよ!」


 私:「うん、アレルギーでね」(もう言われ過ぎてうんざりしている)


 妹:「なんか、アレ、ハリー・ポッターに出てくる小っちゃい妖怪みたい!なんだっけ?アレ」


 私:「ご主人様、もうドビーを苛めないでください!」(自虐)


 妹:「そうそう!ソレ、ドビーだ!」(笑いながら)


 私:「ううう、とうとう妖怪の域か…。」(諦めの境地)


 妹:「瞼は腫れてるのに顔は痩せてるし!」(まだ笑うかのか)


 私:「ご主人様!もう許してくだたい、くだたい…。」



 妹よ、言っておきますけどドビーは妖怪ではなく、妖精です。(号泣)


  

顔面崩壊中


 昨年からアレルギーによる右の瞼の腫れがひかない。左目は瞼の痒みでこれまで散々掌で押して堪えてきたせいか眼球が奥に引っ込んで目が小さくなってしまった、ような。

 姉は忘れてしまうのか会うたびに「目がおかしい!腫れてるよ!キモチワルイ…」と言う。そのたびにそんな姉につきあって「皮膚科に行って薬もらっても治らないんだよ。もう治らないからしょうがないんだよ」と答えていたのだが、この間荷物を取りに実家に行った時、老眼でよく見えない母にまで「なんか顔がオカシイよ」と言われてしまった。

 まあ、もういい年だし、あちこち崩れてくるのはしかたがないけど、加齢以外の原因でそれに拍車がかかるのもなんだかなあ、と思いながら夜更かしが止まらない。だぶんこれが一番の原因。さっきから「原因」と打とうとすると「下人」になってしまう。どうせ下人だわよ。


 2月の一番のイベントだった生誕祭は大盛り上がりで、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。が、3月はまたいろいろと。一つは昨年中止になったバンタンのライブビューイングにまたPちゃんと参戦すること。そしてもう一つ。

 1月頃から「また東北に行こうかな」、と漠然と思っていたのだけど、たまたまつけていたN○Kで三陸鉄道の炬燵列車を見て決めたのだ。2月中にいろいろ調べて、北リアスにするか南リアスにするかで悩みに悩んだ結果、炬燵列車はないけれど、南リアスとBRTを使って釜石から気仙沼、一ノ関を一日かけてまわるルートを選択した。


 二日目の宿を一ノ関にしたのは、2012年の3月にも行ったベイシーにまた行くことを念頭に入れて。ライブをやっていたらラッキーくらいの期待でいるのが一番。帰りは高速バスを利用して乗換なしで夜に帰宅。翌日は仕事。相変わらずハードスケジュールの旅だけど、まあ大丈夫でしょう。肉体崩壊のほうは、ジム通いのおかげ(といっても今は週一回いければよいほう)なのか、顔面よりは進行が遅いようでホッとしています。気のせいかしら?



 今この歌と奮闘中。もちろん、ナンチャッテ韓国語で(笑)


 


 

すっかりあけまして


 本年も宜しくお願い致します。


 昨年暮れのバンタンのライブビューイングは叶わなかったけど、2日のクロスはしっかり行って来ました。実はワタクシ、ゼップとかのライブハウス?は初めてだったりするのです。ええ、地味に生きてきました。生きていきますとも。

 当日は一緒に行ったもののPちゃんたちとはチケットの整理番号にえらい隔たりがあったので会場内では遠く離れてしまいましたが、それはあなたせっかく行ったのだから楽しまなくちゃ、と、大いに盛り上がってきました。La-di Da-diが流れ出したらもう止まらない。ひとり、全然平気なヒトですし(笑)。


 アンコールで歌った新曲。セヨンさんがすごく楽しそう。


 



 ライブの後は好きなメンバーからお年賀がもらえるということでワクワクしながら列に並んでいますと、戻ってきた妙齢の女性たちが手にした黒くて小さい封筒を見て「ご縁があるように5円玉だったりして!」と言っておりましたらドンピシャリ、でございました。


 ワタクシ、Pちゃん、妹(Pちゃんママ)の3人が並んだのはもちろんヨンソクちんの前。PちゃんたちはセッセとCDを買いあさって写メ会に通っていたので名前まで憶えてもらっているのですが、ワタクシは初めての対面にドキドキ。


ヨ:あけましておめでそうごじゃいます!
  (お年賀を差し出しながら)

私:(頭を下げて)ありがとうございます。

ヨ:ことしもよろしくおねがいします!

私:韓国カムバ頑張ってくだ

女:はい、次の人もいますからそこまでで〜(私の両腕をガシっとつかみ引き離す)

私:さあああ〜〜〜い!


 俄かファンの扱いなんてこんなもんだぜ。「頑張って下さい」って言ったらすぐ離れるつもりだったのに。でもおばちゃんには塩対応だと聞いていたヨンがニコニコしてくれたからヨシとする。営業スマイルとも言うが。


 そして5円の効果は実はもうすぐ。2月の生誕祭プチライブにも行くのだー。なはは〜。
バンタンは若くて踊りも歌もうまいけど、クロスはいまいち垢抜けてないところがいいのだ。

 にしても、韓国の人ってなんであんなに肌がキレイなんだろう。みんな白くてツルツル。羨ましー。

 

初めての大人買い


 月曜のライブビューイングはメンバー二人の体調不良により公演中止に(涙)。


 悲嘆に暮れながらユーチューブであれこれ聴いていたのですが、ふと、楽しみとか言ってた割には私ったらCDの1枚も持っていなかったじゃない、と気づきまして、ミニアルバムを3枚ポチっとな。しかしそれだけではなんとも消化不良で、一日おいて更にアルバムを4枚、ジャパン・ツアーのDVDを追加でアマゾンしたのでした(笑)。


 まあ、プチボーナスとは言えまだ何も買い物をしていなかったのでたまにはいいわよね、と、自分に言い聞かせているのですが、何せオリジナルにこだわる性質なので韓国語バージョンを購入しまして、(ハングル文字)読めねえ、(読めねえから)歌えねえの二重苦状態に陥っております。ま、年寄りの冷や水ってヤツなのかしらね、踊ろうとすらしてるし(笑)。


 ゴリラみたいなダンスだな、と思っていたら本当にそうだった。


 



 それと「52ヘルツのクジラ」という歌も気に入っている。実際のクジラは17ヘルツくらいで鳴いて仲間と呼びかけあっているらしいのだけど、実際にいたという52ヘルツで鳴くクジラはその声があまりにも高くて、どんなに鳴いても仲間に認識されず広い海の中で孤独に歌い続ける、それを自分たちに置き換えたような目線の歌詞なのだ。


  



 年末ジャンボが当たったら、というお決まりの妄想日記はもう書くまでもないだろう。

 BTS追っかけ資金です、はい。

 政治的な問題はまだまだ山積みだけど、それとこれとは別で民間では仲良くしたいな、と思う。