日出づる処に来たテンサイ


 先日、サンデルさんの哲学の授業が日テレでやっていた。N○Kでやっていた時も見たのだけど、こちらの方がわかりやすくてシナリオがよく練られていたように思う。やはりバラエティー番組に合わせて誰でもわかるように構成したんだろうけど、そういう万人(老若男女)に分かり易い文章とか、話し言葉を提供できる人っていうのが本当の天才なんだと思う。
 面白かったのは、嘘はつくことはいけないことか?、というテーマの中で、例として北野武の映画が酷評を受けたとしてその感想を本人に求められた時、サンデルさんが「信じられない、こんな映画初めて見た」という良くも悪くもとれる、それこそB級コメディー映画でよく見られるようなワンシーンを披露してたこと。なんでもこれはカントの嘘はよくないけど、誤解を受けるような言い回しはよし、みたいな考え方によるものなんだそうな。
 高校の時、デカルト演繹法でコギト・エルゴ・スム=我思う、故に我あり、とか、フランシス・ベーコンが弁証法で知は力なり、とか、ベンサムの最大多数の最大幸福(菅さんのコピー、イタかったなあ・遠い目)なーんて一連の哲学者とか思想家を教わった時に、一番好きだったのがカントだったりして、時計よりも正確な規則正しい生活を送っていたというそのストイックな気質に憧れたりしてたことを思い出しました。決してその哲学に傾倒することはなかったけど。
 まあ、専門用語を使わずに一つ一つかみくだいて話すことはものすごい面倒なことだと思うのだけど、しっかりと教養を身につけた大人の天才と呼ばれる人たちは、それをいとも簡単に説明してみせるという、人を引き付ける魅力っていうのは、このわかりやすい話術とか、構えさせない安心感とかを備えていることなんだろうな、と。

 話は変わるんだけど、以前、一回りくらい若い人と話していた時に、何かのテーマに話が及んだ時、ただ一個人としての意見を聞きたかっただけなのに、その定義がわからないから何も言えないって言われて、は?と思ったことがある。そんな難しい内容のことじゃないのに、定義って…。ホントお話にならない。お家帰ってご本読んで勉強すれば定義がわかるの?今、ここで、あなたの心で感じた意見を聞きたいのだけど、と思ったり。間違えたこと言ったっていいじゃない。気がついた時に臨機応変に軌道修正すればいいんだから。まあ、それができなくてガチガチのゴチャゴチャになってるのが、今の日本の政治家たち(この閉塞感は決して民主党だけじゃない)なんだけど。なんか、いいことばっかり言ってる名古屋辺りの政治家も怪しいなーと。民主党のバラマキ政治の破綻から何も学んでない感じがするんですけどね。