極私的な地震の記録

fleurette2011-03-15



 昨夜は妹宅でゆっくりお風呂に入ることができました。

 11日の地震直後のことを思い返すと、あの時は平日の午後2時46分だったか、ふだんは微動だにしない私も尋常ではない大地震に台所に行き、食器棚が倒れないよう支えるということを初めてしたのですが、途中でこんなことをしてたら死ぬな、と、パッと離れて落下物のない柱にしがみついてやり過ごしたのでした。

 鎮まって表に出ると、既に在宅していた方たちが駐車場にいて、余震に備えていました。断続的に続く地震に、裏のアパートの住人の中にいた若い親子連れの父親たちはビニールシートを持ち出し、簡易休憩所を幼い子供たちのために用意し始めました。

私も砂利の敷いてあるウチの駐車場の上に段ボールを並べ、その上にマルチカバーを敷き、部屋に戻って、座布団、毛布、電気ポットにコップ等を持ち出しきて、風邪をひいてたまたま休んでいたという一階の女性Yさんと母に座って休むよう促しました。

 余震は続き、誰もが今日は部屋には戻らない方がいいと判断するなか、年寄りたちだけは家の中に戻って行ってしまうのでした。私は懐中電灯、ケータイの電池式の充電器とあるだけの電池をもって、同じアパートに住みながら初めて会話を交わしたYさんと一緒に車の中で過ごし、ケータイでテレビを見続けた。ケータイの小さな画面でも、東北で起きている震災の大きさは伝わりましたが、停電の夜に毛布にくるまって車内から見上げた星空はあまりに美しく輝きを増していて、数機のヘリコプターが撒き散らす轟音がどうにもチグハグな感じで、自分の身に起こったことが実感できませんでした。

 明けて12日、爽やかな青空を見てはなおさら、「なんか、信じられない。この青空が続いてるずっと先では、大変なことが起こってるんだよね…」と、Yさんに言ってから、散歩がてらコンビニが開いてるか見てくると言い残して、鞄を持って外に出た。避難場所になっていた小学校の体育館からはちらほらと家に戻る人たちの姿が見え、子供たちは自動販売機を見かけてはジュースが出ないかとボタンを押している。コンビニは営業停止、その先のコンビニも営業停止。店先の公衆電話には数人の若者が電話の順番待ちをしている。見上げると某企業のホテルのような寮の窓と窓の間の外壁にことごとくヒビが入っていた。もう少し先にはスーパーがあるが、まだ8時、開いてないだろうなと思いながら向かってみると既に人が駐車場の真ん中あたりまで並んでいた。ありがたい。その列に加わり待つこと1時間、両親とYさんと4人分の食料、ケータイ用の単3電池をゲット。ネットとワンセグテレビだけは見ることができた。この時ばかりはケータイを持っていてよかったと素直に思いました。

 両親の所にサバ缶2コ、魚肉ソーセージ、バナナ、食パン、オレンジジュースを持って行くもさして喜ばれもせずお金を渡される。車に戻ってYさんと食事。段々暑くなってきて、10時過ぎに部屋の様子を見に行ってみるかということになりそれぞれの部屋に戻った。

 台所は悲惨、倒れた食器棚から飛び出した皿やカップの破片が散乱、棚やテーブル、オーブンレンジや冷蔵庫の中身まで全て飛び出し下駄箱の上に置いてた3鉢のポトスも全て床に落ち、ガラスと土と瀬戸物の破片だらけ。たっぷり補充したばかりのシュガーポットのグラニュー糖も。冷蔵庫とオーブンレンジの台が前に動いていたものの、倒れていなかったのは幸いだった。驚いたのは、倒れた食器棚のすぐ隣に置いといた赤兎(キャノンデールのマウンテンバイク)は全く以前と変わらぬ位置にそのままあったこと。

 リビングは飛び出した書籍の上に線香の灰が巻き散らされてすごいことに。壁に掛けてあった時計は吹っ飛び、洋服ダンスのハンガーをかけるポールを固定している真鍮の金具が片方だけポッキリ折れ、衣類が飛び出していた。パソコンは無事。ガス、電気、水道、全部ダメ。これでは掃除も満足にできない。プランター用の霧吹きに入れておいた水をタオルに吹き掛けてザッと掃除。ベッドの上の白い粉を見咎め、こんな所まで灰が飛んだのかと思ったら壁に亀裂が入っててそこからこぼれ落ちたものだった。その間も余震は続いていた。

 リビングと寝室をなんとか片付け、台所へいってはウンザリした。小さい食器棚なのに中の食器や引き出しが引っ掛かって起こせない。しかたなくわずかに開いた隙間から一枚ずつ食器を抜きだした。あとはもう力任せで持ち上げ、吹っ飛んだ天板を載せた。割れてない食器をしまい手前にクッションを入れて扉が開かないように紐で縛った。ホウキでガラスの破片をはじに掃き、後はもう電気が通ってからにしようと。お隣りのお家はドアに棚が倒れたようでなかなか中に入れなかったようだ。

 外に出るとYさんがいたので


「どう?片付いた?」

「ええ、まあ」

「こっちもとりあえず今晩はベッドに寝られるようにはなったよ」


と言うと、ぎょっとした後、「そうですか…」と。

 後ろのアパートの若い夫婦は、小さい子供がいるから今日も車で寝るという。Yさんは神妙な顔をしていた。部屋に一度戻ってからやっぱり今晩も大事をとって車で寝るかと外に出ると、既にYさんが自分の車に乗り込んでいて、私を見ると車を降りてきたので、


「やっぱり今晩も車で寝ようかと思って。今日は自分の車で寝る?」

「実は会社の人と連絡がついて、○○の方はそんなに酷くないから来てもいいよって迎えに来てくれることになったんです。私怖がりだから一人ではいられなくて…」

「ああ、じゃ会社の人が来るまで、こっちの車に乗ってる?」

「ハイ!昨日はホント助かりました」

「私、おしゃべりで煩かったでしょ?」

「いえ、すごく気が紛れました!」


 やがて迎えに来た車の後について、Yさんは自分の車を走らせた。

 私は、一人で窮屈な車の中で寝る意味を失ってしまったので部屋に戻り、いつでも外に飛び出せる準備をしてベッドに潜りこんだ。

 13日の朝になるとケータイは圏外になっていた。が、ワンセグのテレビだけは見られる。長期戦になるかもしれないな、と、8時を既にまわっていたので、食料調達には遠出するつもりで車で出掛けた。テレビではコンビニは店を開けるよう協力を訴えかける放送が流れていたのに、近所のコンビニは相変わらず営業停止。しかも今日は外から覗かれないようにするためか、中から新聞紙が貼ってあった。なんだかなあ、と思いながら車を走らせると、スーパーはどこも長蛇の列、やり過ごして20分ほど走ると国道沿いのコンビニが開いていて、おじさんがたった一人で電卓を叩いて処理していた。水は既になかったが、缶コーヒーの類は割と残っていた。500mlのミルクコーヒーのペットボトルを2本ずつ両親の分と合わせて計6本を持って列に並ぶ。前の男性はカゴいっぱいのコーラ。20本以上はあったろう。40分ほど待ったろうか。その間、金額のわからない商品を客が陳列されていた棚まで見に行くたび、おじさんは「すみません、ありがとうございます!」と恐縮していた。


「お店を開けてくれてありがとうございます」


 おじさんがお釣りを用意している間に持ってきたエコバックにペットボトルを入れ、お釣りを受け取った時、そう言わずにはいられなかった。

 実家に寄って母に「ハイ」とペットボトルを4本を差し出すと、「おおやだ、こんなにいっぱい、飲み切れないのに腐っちゃうでしょうよ」と真顔で言われた。

 腐るのは、こっちのキモチだ。このひとはいつもこうだ。「お金!」という声を振り切って部屋に戻った。

 私の中では微震が絶えない。だから、か。耐性がついてしまったのは。