ツールで思い出したパリでのあれこれ

fleurette2011-05-15



 私がヘルメットからシューズまでビシッとキメたロード乗りを初めて見たのは、パリ、でした。

 T君(Pちゃんパパ)から、「土産はいいから、フランスの車の写真を撮ってきて」と頼まれ、んなこと言われてもなあ、と、コンコルド橋の真ん中でボーっと下の道路を流れる車を見ていた時のこと。

 車に紛れて、一人のロード乗りが私に気づき、上半身を大きく上げて手を振ってきたのです。逞しい上半身にピッタリと張り付いたカラフルなジャージ。それと同様にフレンドリーでおおらかな笑顔。サングラスで瞳こそ見えはしなかったけど、大きく口角を上げて剥き出しになった並びのよい白い歯がそれを証明していました。

 え? 私? と、左右をキョロキョロ見渡しましたが、私以外に道路を眺めている人はいませんでした。再び視線を落とした時には、彼の見上げた笑顔が真下を通り過ぎる寸前で、私は子供みたいに身を乗り出していました。

 おフランスの自転車乗りは派手だなあ〜、でも、ちょっとカッコイイ、手を振り返せばよかったかななんて思ったりしたのでした。

 そんなことがあったから、帰国後、深夜に放送されていたツール・ド・フランスの映像に目が止まったのかも知れません。そして、それからツールの魅力にドップリ浸かってしまったわけです。


 そういえば、その旅行中、別の日にそのコンコルド橋で、大勢の兵士を乗せた軍用車が何台も通り過ぎたのですが、その中の一人が窓越しから険しい顔で私に向かって「ボンジュール!」と言ってきたのです。声は全く聞こえなかったけど、口の動きでわかりました。で、その勢いに押されて「ボンジュール!」と答えると、その兵士はまるで私の上官のように、よし!と頷き、周りの兵士たちは「オオー!」と一斉にどよめき、はしゃぎだしたのです。そのはしゃぎっぷりを見て笑っちゃったもんだから、後から続いた数台の車の兵士たちも一斉に振り返っていくので、それがまるでコントみたいで可笑しかった。


 兵士といえば、私が髪をベリーショートにしていた時だからその3年前、モン・サン・ミッシェルを見に行った時だったと思います。パリの道路のアチコチが封鎖され、柵の横には兵士がピクリともせず仁王立ちしていました。

 凱旋門からシャイヨ宮に向かうクレベール通りの前で「ここ通れる?」と英語で聞いてみると、口元が薄く緩んでチラと笑みが見えたのですが、真っ直ぐ前を向いたまま「インポッシブル」と一言。街の至る所に"Le 14 Juillet"という文字がありましたが、当時の私にはサッパリ意味がわかりませんでした。フランス国民にとって最も大事な「革命記念日」が近づいていたのです。
 
 残念ながら、そのことに気づいたのは帰国二日前、バスチーユ広場では夜通しダンスなどのフェスティバルが繰り広げられるのだとか。(日本では古い映画の題名『パリ祭』と言ったほうがピンとくるだろうか?そんなクラシック映画を知っている人自体が少ないか)後ろ髪を引かれる思いで帰国したのは言うまでもありません。


 そのあと、パリのオシャレロード乗りを見かけた時も、イギリスでの予定を優先させたため革命記念日は逃してしまいましたが、ポンピドゥーセンターの国立近代美術館で展示されていたF.LEGERというアーティストの同じ色使いでちょっとずつモチーフが違っているリトグラフがショップの壁一面に飾られていたので、旅の記念にとインスピレーションで選んだものを購入、帰国してからわかったのですが、タイトルが なんと"Le 14 Juillet"だったという偶然。


 こんなふうに、惹かれるもの全てがずっと繋がっていけたらいいのに、ね。


※上記の思い出は、フランスの通貨がまだフランだった頃、10年以上も前のことです。


今日の花 : 都忘れ