春、東北、温泉郷 3日目(緊急事態宣言前のことです)

あけましておめでとうございます。

年が明けてしまいましたが、やっとなんとか「続き」です。

 

旅の最終日。 

夜更かしして朝食はパス、ギリギリまで寝てしまった。チェックアウトの必要はないので、フロント横の朝食会場でミーティングしていたスタッフは誰も来ない。効率化ってそんなもん、旅館とは違うんだから。

さあ、またひたすらローカル線の旅だ。

 

駅で適当にお土産を買い、駅弁も探してみたがそそられるものが見つからなかった。途中の乗換駅で何か買えるか、という甘い考えでペットボトルのお茶だけ買って電車に乗り込んだ。車窓から見える手前の緑とその奥の白のコントラストが見事に映える山々に、ああ東北ってこうなんだなあ、と地元の方からみたら当たり前の見慣れた景色に一人心躍ってそわそわしてしまい、不審者丸出しに見えたかもしれない。

 

が、乗換の羽前千歳駅に近づくにつれ無人駅が多くなりイヤな予感が。ホームに降り立ち、辺りを見渡しても売店らしきものがない。ここでお昼を調達できなければ、13時まで何も食べられない。それは辛い。朝食も食べていないのでそれだけはなんとしても避けたかった。

捜索するか、と腹を決めた。駅の東側は何もなさそう、西口は住宅地のようだったので何かしらお店があるだとうと階段を下りていくと幟がはためいていた。お、食べ物にありつけそう、という直感がはたらき何が書いてあるのかは気にも止めなかった。そのまま進んでいくとおにぎりの文字と駅で見た幟が見えた。エンドーという昔ながらの地元の商店のようで、入って左手前にはビールケースを椅子にして並べたイートインコーナーもあった。奥ではお惣菜を売っていて、おにぎりもそこで作っているようだった。ショーケースの奥にいたご主人におにぎりを二個頼むとお代は後払いだと言われた。席につくとすぐお茶を出して頂けた。おにぎりの出来上がるのを待っている間に辺りを見回すとなかなか個性的なお店だということに気づいた。そして店の外に掛けられている駅で見たのと同じ幟の文字を改めて確認すると、大きく「げそ天」と書かれてるのに気づいた。つまりこのお店の一押し商品だ。すると、奥から揚がったばかりのおいしそうなげそ天が並べられた。けっこう大きめのおにぎりだったし、げそ天も小さい盛でもボリュームがあったので食べきれるか不安だったが、ここまできてこのお店の名物を食べずに帰れるものか!とご主人に追加注文。結果、ぺろり。すごく美味しくてあっという間に完食。これは神様からのご褒美かもしれないと思った。なんのご褒美かわからないけど。

 

お腹は満たされたけど、乗換までまだ時間があったので適当に散策。住宅地をを抜けると広いか河川敷に出た。遠くで少年たちが野球をしているのをしばらく眺め、それから来た道を正確に駅まで戻った。

 

仙山線の快速に乗りこみ、途中やたら外国の方が乗り込むなあなんて思っていたら、納得、車窓からあの山寺が見えた。ノーマークでした。一緒に降りちまおうかしら?とふとよぎったが、そのあとの仙台からの帰りの電車の座席が変更できる見込みが薄かったため、とりあえず写真だけ、と遠足の小学生のように座席を移動して撮りまくり。あとはただ只管、窓から流れる外の景色を眺めながらこの旅の終わりを噛みしめたのでした。

 

今年はコロナ禍でどこへも行けない状況ですが、その前に、私にもとうとう自宅介護という課題があたえられたので(それもありなかなか続きが書けなかった)、昨年は毎夏の一大イベントの富山入りも叶わなかったわけで。といってもこれまでいろいろ我慢させてしまった父の介護をするのは実際苦でもなく。まあ、日中は仕事があるのでどうしても姉にまかせきりになってしまうのですが、最初はおっかなびっくりだった吸引もだいぶ慣れてきました。夏には昨年結婚した姪に男の子が生まれ、父がひ孫を抱くこともでき、こうして新年を迎えることができたことにも感謝したい。

 

とにかく今年は一日一日を大事に穏やかに過ごせるよう無欲で過ごしたいと思います。

 

その前に年末ジャンボ宝くじの結果を確認しなくちゃ、だわ。