人は一人では変われない


昼頃、部屋をドンドン叩く音で目が覚める。「ああ、Pちゃん(姪・小1)たち、着いたんだな」と、ベッドから起き上がり玄関へ。ドアを開けると、真っ白いお顔にピンクのほっぺの笑顔が飛び込んできました。(ほんと、お前の背中には羽があるんじゃないの?)


開口一番、「ねえ、またお弁当作ってお散歩に行こう!」と。この前来た時に2人でお弁当を作ったのがよほど楽しかったようだ。今回はクッキーの型でハートやお花の形の小さなおにぎりを作った。一つ一つのおにぎりの上にゆかりを降りかけ、さらにその上に1cmくらいのハート型に切った海苔をのせ、お弁当箱に詰める。次に卵焼きを作ろうとした時、「Pちゃんが卵焼き作る!」と、溶き卵の中に…、牛乳入れすぎ。砂糖と小麦粉とベーキングパウダーも入れて、ホットケーキに変身。小さい一口大のホットケーキをたくさん作る。メイプルシロップとバターもたっぷり。
そして、おにぎりとホットケーキを持って出かけた先は、目の前の実家。ええ、コタツの中で食べました。


夕方になって、Pちゃんたちが出かけたので部屋に戻り年賀状と向き合うも頓挫。今年も「後出し」決定だ。そしてテレビと向き合うことに。「江原啓之スペシャル 天国からの手紙」という番組を、(1人なので)涙と鼻水を思う存分垂れ流しながら見た。いろいろと思うところあり。「幸せ」って?とか。そもそも幸せの意味すら見失っている。いったいどういう状態のことを言うんだっけ。や、「状態」なんて言葉は当て嵌まらんだろ、それは世間的というか表面的というかあまりにも形式的で、全く持ってオバカな発想だ。そうそうアレだ、「襤褸は着てても心の錦」ってヤツ。で?ニシキって?じゃなくて、ココロ(の持ちよう)のほう。が、「状態」よりも「ココロ」は簡単に切り替えられないから大変なのですが。


ほんの一瞬、明るい光が射しかけたように見えましたが錯覚、依然闇の中なのでありました。雪の女王に連れ去られたカイ少年の瞳に入った鏡の欠片はどうやってとれたのでしたっけ。ずっと前に観た、ペービ・ルルツェル監督の幻想的な実写版『雪の女王』(スウェーデンフィンランド合作)が見たくなったな。セリフが少なくてシュールな感じだったのだけど、深夜に放送されたので睡魔に負けて寝てしまったのでした。ゲルダ役の女の子が漂う小船の中で眠っているシーンはミレーの「オフェーリア」を想起させたり。また放送してくれないかしら。