ドラマでもつぶやいてますね

fleurette2010-05-01



 さて、愚かな政治家にも人気のTwitterですが、アレを読み物として他人が読んで面白いものなのでしょうか?
 私は全然〜ない(否定)派です。仲間うちや個人で楽しんだり、某の発言として引用する分にはいいのですが、これをそのままテキストとしてアカの他人が読んで理解できるものなのか?私はできない。(きっぱり!)
 横槍が入らないTwilogなら、時系列でその時々に思ったことを忘れないうちに簡潔にメモすることができるので、私のような長文を書くのが苦手な人や夜まとまった時間が取れない方には重宝だと思います。
 が、Twitterは書き込みに対して誰とも知れない方から脊髄反射的にレスがついたりするようなものらしいので、まさにユビキタス社会の実現というのか、書き込みしているご本人たちにとってはライブで情報の収集、交換、提供ができて便利なのでしょうが、会話だけの脚本を読んでいるという域にも程遠い感じで、それを読んでるワタクシはさっぱり意味不明だったりします。
 なので、面白そうなタイトルで更新報告されたものをクリックしても、「これ、テキストじゃないよね…」と、現れたTwitterを前にしてそう呟くことが増えたり。(笑)
 あと、個人的に「〜なう」というのがサムイ、生理的にあわない。ママさん宇宙飛行士がソレを使っていた時には、ちょっとヒキましたね。ペラペラの着物を宇宙で着ることにもどれほどの意味があったのか。全世界に「これが日本のキモノである」と世界の教科書に見られるような誤解を増幅させるのじゃなかろうか。といっても、そういった誤解は多かれ少なかれどの国にもあるものだから、どうでもいいけど。
 ダラダラと書いてきましたが、何が言いたかったかというと、私のような原始人は呟きに返事がきたりするとひどくビックリするので心臓に悪い、ということです。

 さてと、本日からワタクシのGWが始まったわけですが、考えてみたら何処もひどい混雑なわけで、この連休があけるまでは家でおとなしくしていることに決めました。
 で、どこまで本気なのかわかりませんが、妹がホノルルマラソンに参加したいとか言い出しまして、ならば!と、ワタクシも軽くジョギングでも始めてみよう、なんて嘘ぶいたり。マラソンは中学の時に毎年2キロマラソンというのがありまして、私が母から行くよう命じられていた高校はマラソン大会がなかったので、中三の時に「これが最後のマラソンだ、ワハハ!」と二人の友人と共に大会前に早朝練習をし、当時私の学年の女子だけで230人はいるマンモス校だったのですが、練習が効いたようで運動部でもないのに20位になったりしました。そういえば、その時まだ愛くるしかった小学生の妹がなぜかその早朝練習にくっついて来ていましたっけ。

 ケンブが天国に召されてもうすぐ2年。全く散歩することがなくなった。道理で肉もつくわけだ。ジョギングとはいかないまでも、ウォーキングを始めてみようかな。