買わずに飼う/受け入れること

fleurette2011-07-12



 日曜のこと。久々にやって来た妹たちと賑やかな夕食を済ませくつろいでいた時、ふいに父親が言った。


父「ケンブは利口な犬だったなあ」

私「そうだよ、ケンブはすごく利口だよ」

父「ちゃんと番犬の役割を果たしてたんだよなあ。ケンブがいた時はすぐ吠えるから変な人現れなかったもんなあ」


 子犬だったケンブを連れて帰った時はあんなに捨ててこいって言って、死んだ時は大変だからもう飼うなって言ったくせにどういう風の吹き回しかと思ったら、アパートの1階に住んでいる女性のところに不審者が出たらしく(暑くなってきたからね)、警察に連絡して見回りをしてもらっている最中だと言う。


妹「フルちゃん、また犬飼えば?」

私「ケンブの代わりはいないからいい。飼うんならお父さんたちで飼えばいい」

妹「何飼う?柴犬がいいんじゃない?」

P「ラブラドールレトリーバーは?」

私「おっきいワンコは大変だよ。そう言えばPちゃん、小さい時「Pちゃん、パグがほしいのぉ〜」って、泣きながらフルのとこに電話してきたことがあったね」

P「フレンチブルドッグは?」

妹「小さすぎるし室内犬じゃ番犬にならないよ」

私「飼うなら雑種がいい」

父「雑種ってどうするんだ、捕まえてくるのか?」

私「もう!そうじゃなくて、動物愛護センターとかあるじゃない」


 まったく。昔の保健所じゃないんだから。


妹「子犬がいいなあ。そうだ、今、被災地のワンコを預かってるところで子犬が増えて困ってるって言うじゃない?」

私「いや、もっと近くにいる。朝、チャリに乗ってる時、薄茶色の子犬がトコトコ歩いてるの見た。この前見かけた時は野良の親犬と一緒だったんだけど…」


 決めた。今度見かけたらやっぱり捕まえる。あのコがいい。


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 アクセス数がやっと通常にもどってきた。私が7日の日記を書いたのは、よしきさんのエントリーを読み、ああもうダメだ、とにかくなんか書かなきゃ、という衝動に駆られたからだった。

 長い下書きを書き終えいざアップしようという段階になって、何か違う、と思った時にあのテキストを思い出した。最初に書いた下書き、経緯やそれについて思ったことをダラダラ書いた冗長な文とは全く別のものになっていた。

 そして更新報告して「新しいテキスト」のページに飛ぶと、私の前に例のアツ・モリオがいた。

 ああ、(今まで見聞きしていただけだったこのての類が)やっぱ出てきちゃったか…、と多少ウンザリしながら読んでみた。アオリ文ではあるけれど、みんなの声が聞きたいだけなんだな、と思って少し安心した。

 それからアクセス数がいつになく大変なことになっていたのでどうしたんだろうと思っていたら、取り上げられることなど絶対ないし書き込むこともないと思っていた井戸端に、アツ・モリオによって投稿されていた。「なんてことするんだよぉー」と、私はふて寝してしまった。

 23時53分だったと思う。テキスト庵はもうそこにはなかった。

 魔がさす、という言葉がある。それは何気ない日常にぽっかり開いた落とし穴のようなものだ。いつ誰が被害者、加害者になるかわからない。痛かったら「痛い!」って叫んだっていいじゃない。そんなの当たり前のことじゃないか。自分のしてしまったことを認めたり理解できるまでは、何度だって同じ失敗を繰り返すことだってある。人間は間違いを起こす生き物だもの。

 だけど、もし、再生を信じるなら、それも必要な一つの事象だったのだと受け入れて、傷つき、憔悴し、硬直してしまった人たちの心がほぐれていくのにそんなに長い時間がかかりませんように、と願ったほうがいい。
 それは必ず自分に返ってくることだから。いいことも悪いことも。


05:00 出発

走行時間:035:47'
走行距離:10.20km
平均速度:17.1km/h
最高速度:31.3km/h
消費カロリー:112.3kcal
積算距離:253.7km