夏の終わりに

fleurette2010-08-29



 チャリ乗りに行かなかったので、本日は午後4時前に海までウォーキング。日曜日の夕方近く、しかも夏休みももうすぐ終わりということで、さすがに人もまばら。が、学生だろうか、そんな淋しげな季節の終わりとは無関係に賑やかにビーチバレーに興じている若者たちがいて、逆に必死さを感じた。
 サンダルを履いたまま波打際を歩いていると、ふと、これが今年の夏初めての海水浴(?)だということに気づいた。夏は大嫌いだし人混みも苦手な私は、子供の頃を除けば(海が大好きな父に風邪をひかなくなるからと半強制的に浮輪で沖まで連れていかれ、唇を紫色にしてブルブル震えていた)、海で泳いだことなど殆どない。だいたい、足がつかない所では溺れてしまう。
 小さな岩場の河口では、目の前の太平洋を知ってか知らずか小さな魚たちが元気よく泳いでいた。波間を歩いていると、寄せる波の描くカーブに沿っていろんな海藻が流れ着いていた。その中に桃色の海藻を見つけ、拾って海水で洗うとピンクが一層際立ってキレイだったので持って帰ろうと、その場に佇んで絡み付いた他の海藻としばらく格闘した。
 その頃になると、海に入っていたのはスニーカーを履いたままはしゃいでいた白人の若者と、その友人らしい日本人(にしては端正な顔立ちだった)だけだった。が、その東洋人も海からあがり、まだ波と戯れている連れに向かって声をかけていた。陽はもう十分傾いて、海風が心地良い涼を送り始めていた。
 砂浜には、黒のキャップ、サングラス、ポロシャツ、薄いベージュの半ズボンという出で立ちでシートに横になり読書しているガタイのいいオジサマがいて、通り過ぎる時にチラと振り返ったらリチャード・ギアみたいな外国の方でした。そんなスタイルが絵になるオサレなオジサマなんて、この辺に(いや日本にも、か)早々いやしない、と思う。
 それまで騙し騙し歩いていた両方の足の小指が痛くて我慢できず、プロムナード下の壁のコンクリートの綺麗そうな所に腰を降ろしてしばらく休むことにした。サンダルを脱ぐと、小指と親指の付け根に破裂寸前の大きなマメができていた。持っていた絆創膏は三枚。一枚足りない…。
 諦めて、足にビッシリとこびり付いた砂をハンカチタオルで叩いて落とし、両方の小指と左足の親指の付け根に絆創膏を貼って歩きだした。道路に出て橋を渡り切った所で痛くてどうしようもなくなり、歩みを止めてどうしたもんかとしばらく思案した。
 電話して迎えにきてもらおうかな、と弱気になりポーチに手をかけた時、ポケットティッシュを入れてきたことを思い出した。防波堤の上に座ってティッシュを四枚取り出し、それを小さく折り畳んでサンダルと患部の間にズレないように挟んでクッションにしてみた。歩けないほどの激痛はおさまり、途中の道路横に植えられたイチジクの甘い匂いに元気づけられながら、いつものツルマレ峠に挑んだ。
 道路に直に留まって動かなくなった蝶や薄い赤紫色の小さな萩の花、電柱から聞こえるツクツクボウシの声。変わるものと変わらないもの。この両者の違いはいったい何なのだろう?私はなぜ天職だと思っていた仕事をやめて、ココに帰ってきたのだっけ?
 夕陽の中で、向日葵の黄色と百日紅のピンクがちょっとだけ哀しく映った。