またしても地震

fleurette2011-04-11



 今朝、インフルエンザで休んでいたPちゃんの初登校を駅まで見送りに行った際、時計を忘れてしまったというので、私の腕時計をホームの柵の外からPちゃんの腕に付けてあげた。電車のドアが閉まっておもいっきり手を振る私に、お友達の前ではいつも素っ気ないのにちっちゃく手を振り返してくれた。
 その後、妹としばらく火燵でゴロンと仮眠していたのに目覚めれば一人。パートの仕事に出たようだ。帰る用意をし、車のボンネットを軽く水洗い。本当はPちゃんが帰って来るのを待って「お帰りなさい」と迎えたかったけど、そうするとまたズルズルと帰るのが遅くなってしまいそうなので、お昼には妹宅を後にした。
 途中、湖畔のパーキングが奇跡的に空いていたので、桜とコブシの花を撮影した。東京の千鳥ケ淵に行きたかったのだけど、今年はココでの花見で良しとする。
 撮影を終えての帰路、いろんなことを考えて注意力散漫になり、信号が青になってるのに気づかず後ろからクラクションを鳴らされてしまった。海沿いの国道は崖側の道路が崩れたまま。そのすぐ傍を大型トラックが走っているのを見て、なんだかもっと崩落しそうだ、また地震がきたら危ないな、と思う。
 自宅について車を降りると、今まで聞いたことのない不気味な音にすぐ気づいた。なんだろう、この音は、と、辺りを見回した。そんなに風が強かったわけでもないのに、わずかに残った林の木々が轟々と暗い音を立てていたようだ。
 部屋で荷ときをしていると妹から、16:35にPちゃんが下校したことを知らせる学校からのメールが転送されてきていることに気づいた。マナーモードは解除してあるはずなのに音がならなかった。そういえば、今朝のアラームも鳴らなかったな。解除になってるのを確認してから改めてもう一度設定し直してみた。
 洗いものを出して洗濯機に洗剤、柔軟剤を入れていた時、3月11日の時のような大きな地震がやってきたが、前回食器棚の手前に二枚折りにしたマットを敷いて置いたのでまあ大丈夫だろうと思っていたのだが、なかなか鎮まらない地震にたまらずまた押さえにいった。
 防災センターから津波警報と高台(ここは高台)に避難する放送が戸別受信機からひっきりなしに流れて、その上ずった気弱そうな男性の声は18:05の解除まで延々続いた。お疲れ様。
 その間、私といえば、Pちゃんの事ばかり考えていた。さっきの下校時間からして電車の中かもしれない、妹は職場だし、なんだってこんな日に帰ってきちゃったんだ、この役立たず!と、もう自分自身に腹が立っていたたまれず、mixiにしょーもないつぶやきを連打。お騒がせして申し訳ありませんでした。
 連絡を待っている間にリュックに避難用のグッズを詰め込み、いつでも外に飛び出せるよう靴をはいたままソファーに座ってテレビを静観。しばらくして妹からのメールで、Pちゃんは無事であり、4月になってようやく動き出した最寄駅の路線は再び不通になったため乗換駅でピックアップしたことを知る。さらにPちゃんからも電話があり、地震があった時はまだ学校の最寄駅で電車には乗っていなかったことを知る。前の地震の時は怖くて泣いてしまったと聞いていたが、お友達7人と一緒だったから大丈夫だったと本人はいたってケロッとして言っていたが、内心はきっとドキドキしていたことだろう。ホッとして、こっちが涙声になってしまうよ。
 23:55、さっきまで余震が続いていたけど、おさまったかな?

 
 と思ったけど、あまかったみたい。

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 うわぁ、すごいおサルさんでびっくり!もはや救いようがないネ〜、私(笑)。


今日の花 : 辛夷(コブシ)