猫のように


 危ないからやめたほうがいい


 そう言われて中断していた夜のウォーキングだが、涼しげな虫の音に誘われて久しぶりに出かけてみた。いつもとは反対の、海の近くだということを全く感じさせない風景が続く夜の中へ。アパートを出て左に折れると急な下り坂があり、最近、その底の部分だけがアスファルトで舗装されたため、これまではなかった大きな水溜りができていた。帰宅時、車で反対側からそこを渡ろうとした時にその水溜りが黒く光ってクレパスのような奈落の底に見えて一瞬ヒヤリとした。そのクレパスの左右には何年も前に廃線になり、線路も取り除かれ整地された後夏草たちが好き放題にのびた跡地がまっすぐにのびているというのに。

 かつて踏切だったその水溜りを避けるように渡りきった後、ふと振り返って叢に目をやるとその中に小さくうずくまっているものに気づいた。くしゃみを一つすると、その丸いものからさらに小さな丸いものがニュウっと現れ形を変えたかと思うと、鋭いビー玉が二つ、こちらをじっと見据えた。


 ああ、ごめんね


 肩をすくめ、目を丸くしてテレパシーを送る。月は黒い雲の上、暑くも涼しくもない中途半端なひっそりとした夜を歩く。しばらくすると目の前を一台の自転車が横切って行った。仕事の帰りなのかナイトクルージングなのかわからないが、そのライトが楽しそうに道路いっぱい左右に揺れながら遠ざかってゆくのを見ているうちに、なんだかこちらも気分が弾んできた。車一台見かけない静かな夜なんだもの。


 Uターンしてコンビニで買い物を済ませ叢になった線路跡地に差し掛かると、さっきの猫が四肢を投げ出し脱力しきった体勢で、「なんだ、アンタか…」とでもいうようにゆっくりと頭だけを動かした。眼光の刺すよう光は消えていて、鼻先を天に向けだるそうにしながらも目だけで追ってくる。


 テレパシーが通じたのかしら


 こういうのが一番通じないのが人間って生き物だ。そういうのが通じることが果たして良いのか悪いのか、どちらにしてもやっかいなことには変わりはないのだけれど。その代り人には言葉があるというのに、それが時に邪魔をする。思いも言葉も十分じゃない。なりたい自分になるためには動くしかない。歩く。人生をひたすら歩き続ける。自由でしなやかな猫のように。


 気がつけば、雨の匂いが全くしない夜だった。




 さあ、今度こそこの弛緩した肉体をメリハリボディに改造してみせるぞー!