大事なこと


 昨日、出掛けようと久しぶりに化粧した。化粧したと言っても日焼け止め兼用のリキッドファンデとマスカラをちょちょっと軽く塗る程度。あと薬用リップクリーム、か。自転車用のリュックから中味をトートバッグに移し終わった時だった。


 まるで止む気配のない強風と、その副産物の騒音に朝から驚かされ続けていたものだから、ベランダの物干し竿がぶつかる音につい、いいかげんにしてよ、と、声に出してしまった。

 出かけるにはまだ時間があったこともあり、なんだか面白くなくなってベッドにごろんと横になった。よからぬことをしばし考えほくそ笑んだそのすぐ後に、なぜかそのよからぬ考えとはまるで関係のないはずの、アネット・ベニングとナオミ・ワッツが主演した『愛するひと』のワンシーンが浮かび、ただでさえ酷使し過ぎで充血気味だった瞳を赤く潤ませながら、まるで最初から決まっていたように真っすぐと枕までつたってきた。

 全くわけがわからない。こんなことは初めてじゃないだろうか。仰向けになって顎を高く突き出し、左手で閉じた瞼をさらに覆ってストーリーを思い出してみた。やはり接点はなさそうだ。が、ずっと忘れてたいた、ある女性ブロガーのことを思い出していた。

 彼女はアメリカに住んでいた。そしてその職業は、所謂、裏社会の方の"ワーキングガール"、と呼ばれるものだった。その世界に興味があったわけではない。以前、ランクの上位にあった日本のサイトを一日分だけ読んで、ああ、この方はきっと風俗にお勤めの方なんだな(それを臭わせる記述があったわけでもないのに!)、と、さして興味を持つこともなく二度と読むことはなかったし。(その何年か後、それと知らずに読んだ新サイトで当たっていたことを知るわけだが)

 そのアメリカに住んでいた女性のテキストに、聖なる光(というと途端に陳腐に聞こえるが)のようなものを感じていた。キリキリと胸が傷んでいくような。と、同時に、世間の偽善と真っ向から対峙しようという強い意思があった。そのための教養とじゅうぶん過ぎる知性を彼女は持っていた。おそらくそれに負けない美貌も。そして、人の痛みを感じ共有する哀しみがあった。Sの行為にふけりながら、そういう嗜好になってしまったその時のまだ若いパートナーの生い立ちを思って、気づかれないように顔を歪めて涙する彼女を想像した。

 もうだいぶ前にそのブログは消えてしまったが、知っている方も多かったのじゃないだろうか。

 考えても、なぜその二つを思い出したのかなんてわからなかった。たぶん、大事なことだったんだろう。私は、出かけるタイミングを完全に見失って、そのまま眠ってしまっていた。


 ああ、今日こそ出掛けないと。